各世代で雑誌のトップモデルとして活躍してきた田中美保。小学4年生の時にスカウトされてデビューし、2000年代には、鈴木えみ榮倉奈々木村カエラなどともに雑誌『Seventeen』(集英社)の黄金期を支える神メンバーとして活躍。『Seventeen』卒業後は『non-no』(集英社)に移り、「美保カジ」とも呼ばれたそのファッションを真似する女子が続出した。
 2012年にサッカー元日本代表の稲本潤一選手と結婚し、2人のお子さんを出産。モデル業をこなしながら、2児の母として多忙な日々を送っている。

撮影/有坂政晴

育児中に訪れた人生最大の危機

 小学生でデビューし、各世代で常に人気雑誌のトップモデルとして活躍。サッカー選手と結婚し、4年間の北海道生活を経て、2児を出産。誰もが羨む順風満帆な人生にみえるが、田中にとって最大の危機はどんな時だったのだろうか。

「いやー、私の人生の最大の危機は、やっぱり子供に関することですね。それまでも仕事面とかでも“もうやだ”とかいう経験は、きっといっぱいあったと思うんですけど、でもなんか全然違うんです。人の命の責任を負うってことは、ものすごく重い。自分が子供を産んですごく思うことです」

 今年4歳の上の子を出産した時はぎりぎりコロナ前だったが、2歳の下の子は生まれた時からすでにコロナ禍だった。下の子を出産したばかりの大変な時期に、上の子が「熱性けいれん」になってしまったという。

「高熱が出ると、けいれん発作を起こすんです、2人とも。上の子が初めて熱性けいれんを起こしたのは、下の子が生まれて、まだ新生児の時でした。高熱が出て病院に連れてくるまでこうやって抱っこしてたら、いきなりけいれんして、そのままパタってなって、唇が真っ青で気絶した時にはもうパニックです。熱性けいれんって言葉自体は知っていたんですけど、どんなものか分からなかったし、自分の子がなるとか思ってもみなかったので、本当に怖かったです」

 熱性けいれんとは、日本小児神経学会HPによると「一般に生後6か月から5歳までに、発熱時(通常は38度以上)に起きるけいれん発作」のこと。コロナ禍も重なり、ひっ迫した状況であったことは想像に難くない。身振り手振りを交えながら当時の状況を説明してくれた。

「小っちゃい子って知っている言葉の数が少ないから、痛いとか気持悪いとかの意味も間違って使ってる時とかもあるんです。しゃべれないから、本当に痛いの?大丈夫?みたいな感じで、それがもう私にとって一番の危機でした。私自身がすごく健康だったから、病院に行くことさえもほとんどなかったので、ネットで調べたりすると、どんどん怖いことが書いてあったりして、もう怖い怖いってなってしまって」