フリーになって挑んだ”電通”の牙城

 各局から舞い込む仕事。だが総一朗さんはそれだけでは満足しなかった。

「僕がテレビ東京を辞めざるを得なくなった原因となった電通。なぜこんなに力があるのか好奇心が湧いた。電通について書きたい、と思った。いろいろな出版社に提案したら、“電通タブー”があってダメだった。
 
 そうしたら朝日新聞社がOKだと言ってくれた。週刊朝日に連載することになって、初回を書いたら編集長が“全面的に書き直してくれ”という。電通に見せたんだね。そこで知り合いを頼って、当時の電通の広報担当の専務の木暮さん(小暮剛平、後の電通・社長と会長)に会って“週刊朝日に書こうとしたら、電通がチェックして書き直せという。

 電通って一体どういう会社なんだ”と言ったら、木暮さんが“実はうちはいま新しいビジネスモデルを探さなきゃいけないから試行錯誤中だ。なんでも自由に書いてくれ。なんでも協力する”というんだ」

 そして生まれたのが、総一朗さんの代表作とも言える著書『電通』(1981年・朝日新聞出版)だ。