出オチで爆笑が来る算段だったが……
2002年6月、コント「手が長い運転手」で初挑戦。床につくほど長い腕をした大村が登場して、まずは出オチで爆笑が来る算段だったが目論見は外れる。285KBで全10組中9位に沈み、あえなくオフエアに終わった(2002年6月15日放送回)。大村は「呆然とした記憶がありますね」と苦笑する。この頃、『オンバト』の存在感は大きかった。
大村「ますだおかださんとかラーメンズさん、陣内(智則)さん、ルート33さん……『オンバト』に出てた人たちは華々しく売れてましたから。ここで良い成績を残せば状況が変わるって認識でしたね。だからもう、出たくて出たくて」
藤田「『M‐1』が黎明期だったんで、その効果みたいなものがまだあんまりなくて。『オンバト』のほうが“オンエアされたら仕事が増える”って言われてました」
待ち望んだチャンスをモノにできなかった若手芸人に、次の打席はそうそう回ってこない。次に『オンバト』に挑戦できるまで2年待たなければならなかった。
大村「一発目で結果を出せなかったんで、吉本はそんなに甘くないですね。“お前ら、あれだけ大口叩いていたくせにオフエアかい”ってことで、だいぶお仕置きを喰らいました」
アルバイト生活を送りながらキャパ200席前後のハコで単独ライブを打てるようになっていたが、この年はそこでも地獄を味わう。
藤田「単独ライブがボロボロだったんですよね。2時間スベり倒して」
大村「“僕らを見に来たお客さんだよね?”って一人ひとりに確認したいくらい、ウケなかった(笑)。静寂のあまり、藤田が汗ダラダラかいてそれが滴る音が聞こえるくらいでした」
藤田「あれはひどかった。思い出したくもない。打ち上げで、当時の担当社員から“しばらく単独は封印。イチからやり直すんだな”って言われたんだよな」
大村「そうだ、それでシアターD(キャパ100席)でやるようになったんだ」
藤田「“やりたいんだったらお金をかけずにやりなさい”ってことで、幕間VTRもナシで音響と照明ぐらいしかつけずにネタを7〜8本やるライブを定期的にやるようになりました。あれですげぇ力がついたよね」
大村「やってるときはそんな実感もなかったけど、結果そうかもな」
翌年末に行われた『M‐1グランプリ2003』で彼らは大きな跳躍を果たす。いわばこの時期は、膝を曲げて力をためる期間だった。
トータルテンボス
藤田憲右(ふじた・けんすけ)1975年12月30日生まれ。静岡県出身。
大村朋宏(おおむら・ともひろ)1975年4月3日生まれ。静岡県出身。
小学校の同級生同士で1997年に結成。NSC東京3期生。『M-1グランプリ』2004年、2006年、2007年ファイナリスト。『爆笑オンエアバトル』第10〜12代チャンピオン。現在のレギュラー番組は『くさデカ』(テレビ静岡)ほか。
YouTubeチャンネル「SUSHI☆BOYS」https://www.youtube.com/@sushiboys9529