中学に相撲部がなく柔道部に!そこにいたのは佐々木健介

 福岡市内で転入した花畑中学校には、相撲部はなかった。そこで、貴闘力は柔道部に入り、「柔道漬け」の毎日を送った。ちなみに、柔道部時代の1つ先輩には、プロレスラーの佐々木健介がいる。

 一方、1981年初場所限りで現役を引退した貴ノ花は、82年、東京・中野新橋に藤島部屋を創設していた。

 そして、83年春場所、中学を卒業した貴闘力は、満を持して藤島部屋に入門。「大関・貴ノ花の弟子になりたい」と願う全国の少年たちが集まり、同期生は同部屋だけで13人もいた。2024年春場所に入門した新弟子が、全体で27人だったことを考えれば、当時の熱気がすさまじかったことがわかる数字だ。

「新弟子時代は朝3時半起床、4時に土俵で稽古という生活。きつい相撲部屋のいじめに耐えられなくて、同期は次々に辞めていってね……。1年で半分以下に減ったけれど、オレは、そこまでツラいとは思わなかった。ただ、1日でも早く関取(十両)になって、意地悪な兄弟子を見返したいという気持ちしかなかったから」

 自由時間に他の力士が遊びに行く中、貴闘力は相撲以外のトレーニングにも励んだ。

 そして、入門から6年が経った89年春場所、幕下5枚目で5勝2敗の成績を挙げた貴闘力は、翌夏場所での新十両昇進を決める。

 昇進をきっかけに、これまでの四股名「鎌狩(本名)」から、「貴闘力」に改名する。 新しい世界が開けていくはずだった。

「十両昇進は本当にうれしかったんです。でも、昇進したことで、金の面でここまで苦労することになるとは……。正直、角界って、『金がかかる社会』なんだと実感した時だったかもしれないね」

 貴闘力の顔がにわかに曇っていく。

(つづく)