中森明菜さんの「少女A」で注目を集め、以後、チェッカーズやラッツ&スターのヒット曲の数々、郷ひろみさんの「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-」など、歴史に残る名曲を多数手がけている作詞家・売野雅勇さん。広告代理店でコピーライターとして働いていた青年が、なぜ、稀代の作詞家になれたのか。売野雅勇さんの「THE CHANGE」に迫る。【第1回/全5回】

売野雅勇 撮影/杉山慶伍

 昭和の歌謡曲シーンを代表する作詞家として様々な名曲を生み出してきた売野さん。人生最大の「THE CHANGE」を尋ねると、思いもよらない答えが返ってきた。

「コピーライターから作詞家になったこと、作詞家として『少女A』がヒットしたことなど、キャリアの中でいくつもの転機があります。ただ、いま思い返してみると、小学5年生のある冬の日が、人生で初めての岐路、それもかなり重要な分かれ道だったんじゃないかなと、質問されて不意にその情景が浮かんだので、親も友人も誰も知らないエピソードをお話しします。

 それ以前の僕は、いわゆるクラスのガキ大将で、すごく威張っていたんです。クラスの男子生徒はほぼ全部が自分の手下みたいな感じで、いつも上級生からは “売野は偉そうで生意気だ”って目をつけられおどされていましたね。“調子に乗ってるとオレたちが黙っちゃいないぞ”って胸ぐら掴まれて。

 その冬の日、僕はクラスメートとふたり、誰もいない校庭で遊んでいました。僕はシーソーに腰を下ろし、男の子は僕の周りを自転車でただぐるぐると回って、僕がなにかを言いだすのを待っていたんです。その姿を見ていて、“この男の子にもかなり威張り散らしてきたな。毎日怒鳴ったり命令したり、子分のように扱って悔しい思いをさせたのだろうな、きっと中学でも高校へ行っても、彼は一生、僕から受けた屈辱的な思いを忘れないのだろうな”と思ったんです。そんなことは、それまで微塵も考えたこともなかったのに、突然、魂がすり替わったみたいに、そんな考えに取りつかれたのです。