バラードの名曲『大きな玉ねぎの下で』、青春ソングの定番『Runner』や夏と言えば『リゾ・ラバ-Resort Lovers-』など80年~90年代にかけて多くのヒット曲を音楽シーンに送り出した爆風スランプ。そのボーカリストであるサンプラザ中野くんは、早稲田大学出身でスキンヘッドにサングラスという特徴のある見た目で、テレビタレントとしても活躍。今年でデビュー40周年という節目を迎えた爆風スランプ。人気バンドのフロントマンとして活躍した中野くんの人生の転機とは?【第2回/全5回】

サンプラザ中野くん 撮影/松野葉子

 サンプラザ中野くんといえば、当時はまだ珍しかった大学に在学しながら音楽活動を続けていたバンドマンだった。しかも早稲田大学という学歴を生かし、クイズ番組やバラエティ番組にも数多く出演していた。

「大学には8年通いました。バンドでメジャーデビューしていたけれど、どうなるかわからないから、親から”大学を中退するのだけはやめておけ“って言われていたんです。就職せずにデビューすることに対しては、まったく迷わなかった。なんで迷いがなかったのかっていうと、単位を全然取っていなかったから(笑)。そこから、“もう大学には戻れないから、突き進むしかない”状況に変わりましたけれど」

 中野くん自身も、大学受験のころを思い出すこともあるという。

「政治経済学部経済学科って、早稲田大学の中でトップって言われていた学部だったんです。当時、合格発表の掲示板の前に、受験雑誌が取材に来ているんですよ。そこで友達とワーって、抱き合っていたら、“取材をさせてください”ってメディアがやってきた。そして、“合格おめでとうございます。これでエリートの仲間入りですね”って言われたんです(笑)。そんな意識がなかったので、“あ、これで俺エリートになったんだ”って逆に驚きましたけれど。
 そうやって、周りの期待通りの道に進めなかったことについては、父はちょっとすねていましたね。でも自分にとって大学は入るのが目的だったので、そこで燃え尽きちゃったんですよね。もうこれ以上勉強したくないって(笑)」