デビュー作のスタッフの多くが黒澤組の方たちだった

――鐘が鳴った!

「のちのち振り返ってみると、これも運命なのかなと。こうした道に進むことが決められていたのかもしれない、と思ってしまうくらいの、言葉にできないエネルギーを、そのとき感じました。ただ、そのとき“鐘が鳴った”のは、イコール役者になろうと思ったのではなくて、その役をやりたい、できると思ったんです。“渡海博正”は譲れなかったけど、この足かけ1年の撮影が終わったら、スタッフ志望に戻るつもりでした」

――1年とはまた贅沢ですが、特にその現場は、スタッフも俳優さんも超一流が揃っていたわけですよね。

「杉田成道監督のもとに、スタッフもほとんどがいわゆる黒澤(明)組の方たちでした。カメラマンの斎藤孝雄さん(『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『どですかでん』『乱』など)や、美術の村木与四郎さん(『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『夢』など)もそうです。だから、僕はそういう一流のスタッフさんたちの仕事にも目を光らせて、いや、光らせてっていうのはおかしいか、でも実際、光らせてました(笑)」

――すごい環境ですね。

「そうですよ。それで半年くらい経ったときに、僕は“照明部だ!”と決めて、照明部の望月英樹さん(『嵐を呼ぶ男』『トットチャンネル』『ゴジラvsモスラ』など)のところに行って、“一番下っ端でいいから、やらせてください”とお願いしたんです。それで、自分の出番がない時にも現場に行って、手伝いをしたり、役者の芝居を見たりしていたのですが、そうしていくなかで、ベテランの俳優さんたちの芝居のすごさも目の当たりにしていくわけです」

『優駿』には緒形さんの父・緒形拳をはじめ、仲代達矢、平幹二朗、石坂浩二田中邦衛(敬称略)といった錚々たる役者陣が参加していた。

「自分は杉田監督から何十回もNGを出されてヘトヘトになっているなか、“うわあ、すごい”という演技を見て、そのうち、なにがいいのか分からないんだけど、自分もだんだんとNGが減ってきて、20回NGだったものが、15回でOKが、10回でOKが出るようになってきた。そうすると、“あれ、俺にもこっちの才能がもしかしたらあるのかな”と思いはじめるわけです。そんなこと思っていると、また20回に戻ったりするわけですが(笑)、でも、この先もやっていけば、もしかしたらこうした素晴らしい俳優さんたちのように、人間性も含めて、近づいていけるんじゃないかと思っていくんです」

――まずオーディションで鐘がなり、さらに現場でCHANGEしていったんですね。そして、デビュー作での演技で賞を総なめしました。

「ドラマにも出演して、松田洋治とか坂上忍とか、金山一彦とか(全員1967年生まれ)芸達者な役者がたくさんいて。俺と同じ年なのに、“みんなもうこんなに芝居ができるんだ。俺ももっと芝居をやってみたい!”と思っていたときに『優駿』で賞をいただきました。そしたらオヤジが“期待されている中で、これだけ賞ももらって、お前としての船はもう出航したんだ”と言われたんです。同時に“10年続けたら俺はお前を褒めてやる”と言われました」