「いまだに実感が湧かない」

  クラッシュと極悪の抗争劇は85年8月28日、大阪城ホールで開催された、ダンプと長与の敗者髪切りデスマッチでピークを迎える。
 ドラマ『極悪女王』でもクライマックスとなっているこの試合に勝利し、ダンプは人気絶頂の長与を丸坊主にする。その残酷さにテレビ局には抗議が殺到し、関西地区ではゴールデンタイムの中継番組が打ち切られる事態となった。もはやダンプ松本は「社会現象」になっていた。
 あれから約40年。まさか自分の青春が、映像作品となり、世界中で話題になるとは―?

「いまだに実感が湧かないんだよね。私も全部、ドラマを見たし、感動して涙も流したんだけど……。これって本当に私が主役なのかな? よくよく見たら長与千種のほうが目立ってない? なんて思ったりして。
 ベビーの引き立て役だったヒールの私にスポットライトを当ててくれたのは、本当に嬉しいんだよ。だから“ダンプが主役だったよ”って感想をいろんな人から聞きたいよ、マジで」
 40年たっても、いまだライバルに抱くジェラシー。このダンプ松本の執念にこそ、観客の心を揺さぶった、昭和女子プロレスの真髄が隠されているのだろう。

ダンプ松本(だんぷ・まつもと)
本名・松本香。1960年11月11日、埼玉県出身。ビューティ・ペアのジャッキー佐藤に憧れ、全日本女子プロレスに入門。80年、デビュー。84年、リングネームをダンプ松本に変更し、『極悪同盟』を結成すると、クラッシュ・ギャルズのライバルとして一世を風靡する。88年、引退。2003年以降、プロレスラーとして本格的に復帰し、女子プロレス再興に尽力している。