「漫画の方向性」におとずれた「THE CHANGE」

「漫画の方向性の問題だから、これは本当に大きなCHANGEでした。新しく始めた絵柄は手塚治虫とはまるっきり違うもので、漫画や美術絵、いろいろやって試していました。漫画のサークルに入って肉筆の回覧誌にも投稿していたんですが、当時の本をサークルの人が寄贈してくれて、美術展で展示されているんですよ」

 肉筆の回覧誌とは、原稿をそのままとじて本にしたもの。できあがったものは会員同士、郵送で回し読みしていた。楳図さんが投稿した作品の多くは、童話ふうの短編だった。新作の『ZOKU-SHINGO』につながっているように思える。手塚治虫さんから離れていったからこそ、その後の、そして現在の楳図かずおさんができあがったのだ。

「ただ、手塚治虫の絵になっちゃうのは嫌だったけど、そこではない、ストーリー性は見習っていました。漫画でしかできない、とんでもなくウソっぽいけど面白い話。これはやらなきゃと思っていましたが、自分ではなかなか思いつかなかったんですね」

 その葛藤が、後にホラー漫画を生み出すのだが、それはもう少し後の話。長らく「手塚断ち」をしていた楳図さんだが、23年、手塚治虫文化賞特別賞を受賞したことがきっかけで、再び手塚漫画を手に取る。

「手塚治虫が最初の頃に描いたの、みんな面白いんです」

「小学校のとき、友達に漫画を取られてから手塚治虫は読んでいないんですよ。チラッと見たぐらいはありましたけど。でも、手塚治虫文化賞をいただけるって聞いた瞬間、近所の書店で手塚治虫漫画全集に出会っちゃって、買っちゃった」と、語る楳図さんから笑みがこぼれた。

 小学5年生以来、約75年を経て向き合った手塚治虫さんの漫画は、どう感じたのだろうか?

「それで気がついた。手塚治虫が最初の頃に描いたの、みんな面白いんです。よくできているのは『ロストワールド』と『ジャングル魔境』。登場人物に、みんな表情があるんです。顔もあるけど、身体のポーズであらわす表情がみんな素晴らしくて。

 ただ、手塚治虫本人も言っているけど、『ジャングル魔境』は小説の『洞窟の女王』(H.R.ハガード/東京創元社)を参考にしているんです。でも、そうだとしても、やっぱり面白いんですよ。それを当時、僕たちに紹介してくれた、そのセンスは素晴らしいですよね」

 面白いと思ったものを積極的に漫画に取り入れていく手塚さんのスタイル。手塚さんから離れ、独自の漫画を模索していった楳図さんとは、真逆の方向性だ。

「影響されるのが嫌だから、他人の漫画は読まないことにしたんです。影響を受けてしまったら、そこから離れるためにすごい苦労をしなきゃならない。それだったら、いちから全部、自分で考える、最初から自分で作る努力をしたほうが楽なんです」

 他人からの影響を排除して、独自の漫画を作っていく。小学5年生から始まった楳図さんのスタイルは、80年近くの時を経た今も、変わっていないのだ。