恩人、フランシス・フォード・コッポラ監督との出会いとは?
戸田さんが本格的に映画字幕デビューを果たしたのは41歳の時。フランシス・フォード・コッポラ監督の大作『地獄の黙示録』(1980年)である。
監督と初めて顔を合わせたのは1976年、場所はホテルニューオータニのロビーだった。その時のことは鮮明に覚えているという。
「なにしろ『ゴッドファーザー』シリーズなどで多くの映画賞も受賞している大物監督ですし、『カンバセーション・盗撮』(1974年)は大好きな作品でもあったので、好奇心と緊張でドキドキしていました。
よれよれのレインコートを身にまとい、大きなおなかを突き出し、顔は真っ黒なひげ面。度の強い眼鏡の奥にあるのは穏やかで静かな眼差し。体に似合わない柔らかで小さな声で“ハロー”と手を握ってくれた時には、ほっとして緊張も解けました」
字幕翻訳者を志し、保険会社のOLを1年半で辞めた戸田さんは、約10年間フリーランスで翻訳等の仕事続けていた。『アリスのレストラン』(1970年)で初めてプロデュ―サーの通訳を務めた後、映画会社から通訳の仕事をもらえるようになっていった。コッポラ監督に会うことになったのも通訳の仕事だった。
「当時、コッポラ監督は泥沼化していたベトナム戦争を描く大作『地獄の黙示録』の撮影をスタートさせたところでした。なにしろ壮大なスケールの作品なので、アメリカだけでは資金が集まらない。日本にも資金援助を呼び掛けて、日本ヘラルド映画の古川勝己社長が資金の一部を提供することになったのです。この頃、私はヘラルドからも字幕や通訳の仕事をいただいていたので、そのご縁で来日されるコッポラ監督のガイド兼通訳をヘラルドから依頼されたのです」
ご本人は「お世話係のようなものです(笑)」というが、日本でのガイド兼通訳という大役を任されたのだ。さらにサンフランシスコにあるコッポラ監督の自宅に行くことに。