「どうせやるなら勝ちたいですし」


「引退から10年と少し、アッという間でしたね。もう、そんなに時間がたったんだっていう感じで」
 ソチ五輪を目指して中部電力のキャプテンとして戦ってきたが、2013年の日本代表決定戦に敗れ、五輪出場がかなわなかったことが、一つのきっかけとなった。当時まだ24歳、選手としての将来を惜しむ声は大きかった。
「(2013年の日本選手権で)もしも勝っても負けていても納得がいかなくて、“まだ勝つチャンスがある”と思っていたり、“また、やりたい”っていう気持ちが芽生えたら、競技を続けていたと思うのですが、“あれだけやってダメだったんだから、きっと無理なんだろうな”って。“これ以上、伸びないだろうな”って思ったんです。
 アスリートとしての技量というか、もし続けるにしても“環境を変える必要があるかも”とは思いました。チームとしても、これから勝っていくにあたって、“私が抜けたら、またチームにも変化があるのかな”とも思って。やめる決断をしました」
 選手として感じた“天井”が、彼女に新たな道を選ばせた。同時に、未来は一つではないとも思えた。
「いったん、カーリングから離れてみたいという気持ちはあったんですよね。9歳からずっとカーリングをやっていたので、ここでやめて、また、やりたいという気持ちが芽生えたら、やればいいしって。だから、引退するときに、“もう絶対やりません”とか、言い切らないほうがいいかなとは思っていました」
 だが、今までのところ、気持ちが復帰へと傾いたことはないという。
「引退して数年たってから復帰する方って、何人もいらっしゃいますけど、私から見たら、そういう人って超人です。どのスポーツもそうですけど、年々、世界的にもレベルが上がっていくじゃないですか。私としては当時、最大限、頑張ったつもりでも国内の争いにすら勝てなかった。なのに、これ以上、頑張らないとといけないうえに、年齢も重ねているし、無理だろうなって。それに、解説で試合を見ているとレベルの高さに圧倒されるので、ちょっと今からその中に入っていくというのは想像できないなと思っちゃいます。
 人数が足りないときに“美余ちゃんやらない?”みたいな軽い感じで言われたりはしますけど。どうせやるなら勝ちたいですし(笑)」
 どうせやるなら勝ちたい。そんな根っからの負けず嫌い、アスリート気質が逆に復帰を思いとどまらせているともいえる。
「勝てるメンバーと組みたいなと思うと、今度はレベルが上がって難しい。だからミックスダブルスだったら、やろうって思う日は来るかもしれないですけど、(本格的でスタンダードな)4人制ではちょっと難しいなと。どうせやるなら、勝ちたいって思うからこそ、選手には未練がないんですよね」
 矛盾しているようで、正論。彼女がカーリング競技に、選手として戻る日は、もしかして、もう来ないのかもしれない。続く第3回は、人生における初めての岐路と、オリンピック、忘れられない大会、そして現在も続けているピラティスとの出会いなどについて、話を聞いた。

市川美余(いちかわ・みよ)1989年6月28日生まれ。長野県軽井沢市出身。9歳からカーリングをはじめ、2005年に日本ジュニア選手権で優勝。世代を代表するカーラーとなり、2008年に中部電力に入社。スキップの藤澤五月(現ロコ・ソラーレ)らとともに日本選手権で4連覇(2011年~2014年)を果たすも、冬季オリンピック出場はかなわず、2014年に現役を引退。現在は二児の母として、そして解説者として活動している。また、現役時代にフィジカルトレーニングの一つとして取り組んだピラティスのインストラクターの資格を取得。監修した書籍に「まんがでわかる カーリングの見方!! 市川美余がとっておきの話をデリバリー。」(小学館)がある。