2014年、24歳という若い時期に競技者としての第一線を退いた市川美余さん。カーリング女子日本代表として、競技の認知に多大な貢献した彼女の人生の「THE CHANGE」について聞いた!【第3回/全3回】
「行ってないんです、すいません」
市川さんに最初の岐路が訪れたのは、引退の6年前。高校を卒業するときのことだった。
「高校3年生のときに、カーリング選手として中部電力に来ないかという話をいただいて。そのときは、悩みましたね。もともと英語が好きだったので、もっと勉強して英語を使うような仕事をしたいなとか、体について勉強するのが好きだったから、そういう道も考えていたんですね。でも、母に相談したら“カーリングをやりながらでも、両方ともできるよね”ってアドバイスされて。今は、この道でよかったなって、すごく思います」
その後、オリンピック出場を目指して、7年間戦った。その間、日本選手権で4連覇し、全国的に知名度も上がった。だが、夢の舞台に彼女が立つことはなかった。
「オリンピックに行っていないっていうのは、個人的にはそこまで気にしていないというか、結果として受け入れているんですけど、 いろんな方とお話してるときに、“ごめんなさい、私、オリンピック行ってないんです”と、お話ししている相手の方に対して、思うことはありますよね。相手も、私がオリンピックに行ったものだと思って話されていることもあるので、“行ってないんです、すいません”ということはあります」
選手生活に心残りはないという市川さんに、選手時代の忘れられないエピソードについて聞くと、2012年頃の話をしてくれた。