世間を騒がせた突然の降板発表

 そして2006年、『水戸黄門』からの降板を発表する。突然の発表に世間もどよめいたが、理由には何かしらの心が変わる“転機”があったのだろうか。

「京都と東京を往復する慌ただしい20代を走り抜けるうちに、“俺って何のために役者やってるんだろう”と自問するようになっていたのです。大きな転機になったのが、31歳で結婚、翌年に子供が生まれたことでしょうか。子供も成長を自分の目で見たいと思ったんです」

 2005年に結婚した照英さんは、2007年に第1子を授かった。「夫」、「父」になってみて、働き方を変えようと思い至ったのだ。

「家のある東京から京都まで寝台列車で通っていて、京都でも月〜金までの拘束。自分のパンツですらホテルのクリーニングに出さなきゃいけないほどの忙しさで(笑)。そんななかで結婚して、女房や子供のことを考えなきゃいけないのに俺は家にいない。“結婚しなきゃよかったんじゃないか”とまで思うようになって、これはいけないなと」

 にこやかな笑顔を見せながら多忙な俳優生活を振り返り、当時の苦悩を語る。

「自分の中で考えを噛み砕いてみてみると、結婚した理由は女房を幸せにするため。そして子供が生まれたら、この子の人生を見守りたいんだと気づいてしまったんです。だから、『水戸黄門』を降板しようと決めたんです」