スーツを着たお偉いさんと5対1で大会議

 『水戸黄門』5年間の活躍で俳優人生に脂も乗り始めてきた頃、辞めるといっても一筋縄ではいかないはずだがーー。

「今考えたら、降板なんて絶対やっちゃいけないことでしたね。マネージャー、プロデューサーさん、番組スタッフさんに直々で“辞めたいです”と伝えたんです。でも裏では、1000回記念スペシャルの準備が始まってるし、キャラクターのグッズも出来上がっちゃってる、なんて大人の事情もありますから、あらゆる方に引き留められました。30代も半ばの若造の僕が、スーツを着たお偉いさんと5対1で大会議の末に“無理っす”みたいなこと言ったこともあって。それくらい開き直っていたんです」

 「芸能界に居られなくなるかもしれない……」と思ったことは?

「実際に言われたこともあります。でも、芸能界に居られなくても良かった。自分で近所で仕事を見つければいい、タクシーの運転手だってコンビニのバイトだってなんだってできる。芸能人がいない世界で子育てしたって楽しいはず。そんな考えひとつで決断してしまいました」

 働き盛りの30代で俳優としての一線を退いたことに、後悔はなかったのだろうか。

「俳優生活は苦しかったけれど、面白かった。家族がいなければ、今も全力でやっていたでしょう。でも個人的には子育てにシフトチェンジしてよかったと思っています。楽しい、幸せ、と思う間に50歳になってしまいましたから。だから、僕にとって役者を辞めたことは大正解だと思っているんです」

 チェンジに溢れた人生を送る照英さんだが、この時の決断はその中でも非常に大きなものとなった。そして、意外な展開を見せることになる。

(つづく)

照英(しょうえい)
1974年埼玉県出身。元陸上競技・やり投の選手で、1996年の全日本学生選手権とひろしま国体のやり投で準優勝の経歴を持つ。自己ベストは73m90。大学卒業後、恵まれた体躯を生かしモデルとして活動。1997年に単身で渡米をするなどの経験を活かし、念願であったジョルジオ・アルマーニのコレクション出演を果たす。1998年、「スーパー戦隊シリーズ」『星獣戦隊ギンガマン』のゴウキ / ギンガブルー役で俳優デビュー。2002年から2007年まで、『水戸黄門』に風の鬼若役で出演。その後は俳優・タレント活動だけでなく、司会・デザイナーなど活動の場を広げている。2005年に結婚。2007年に第1子(長男)、2010年に第2子(長女)、2016年に第3子(次女)が誕生。令和2年9月、第40回全日本マスターズ陸上競技選手権大会の槍投げ(M45クラス)に出場し、クラス優勝した。