メンバー入りのきっかけは事務所の夏合宿
「B.B.クィーンズ」の「おどるポンポコリン」は、日本ゴールドディスク大賞、FNS歌謡祭、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡祭)など数々の音楽賞を受賞。さらに、第32回日本レコード大賞も受賞し、NHK紅白歌合戦出場も果たす。まさに日本の音楽シーンを席巻した。その社会現象の渦中にいた宇徳さんだが、メンバー入りのきっかけはスカウトされて入った大手芸能事務所が清里で行なった合宿だった。
「清里で合宿というのも時代を感じますよね(笑)。そこにはテニスコートがあって、ピアノもあって、夜にはカラオケ大会も開かれました。その時のカラオケで、あみんの『待つわ』を誰かが歌った時に私がハモったりして。昼間には合宿所にあったピアノをポロポロ弾いていたんですよ。合宿にはティーン誌でモデルをやっている子も来ていて、その子が“雑誌モデルの中で歌のオーディションをやっているけど、なかなかいいコがいないらしい”という話を事務所の社長にしていました。それを聞いた社長が“宇徳、歌いけるじゃん、ピアノも弾けるし”っていう話になって、私もそのオーディションを受けることになったんです」

短大時代の夏休みに大手芸能事務所からスカウトを受けた宇徳さんは、マネージャーに勧められ参加した事務所の合宿で大きな転機を迎えた。幼少期から抱き続けた歌手になりたいという夢を実現するチャンスが訪れたのだ。時代はバブル景気の末期、昭和から平成へと変わるタイミングだった。
「最初は“歌を歌いに来ない?”という感じで言われていたので、その日はオーディションだとは思ってなかったんです。でも、実際に行ってみたら、ソロとしてデビューできるようなアーティストを探しているからと。まずはそこで歌わなくちゃならない。呼ばれて行った先はもうブースでした。
スタジオに行って楽曲を選んで、高橋真梨子さんの『桃色吐息』と中森明菜さんの『AL‐MAUJ』を歌いました。明菜さんは本当はもっと他の曲が歌いたかったんですけど、それしかなかったんです。難しい曲でした(笑)。もちろん『B.B.クィーンズ』とかそういう話はまったくなかったんですけど、“宇徳でいきましょう”と言ってもらえたことは今でも鮮烈に覚えてます。後に『B.B.クィーンズ』のオーディションと分かり、これが私の歌手活動の始まりでした。
あれよあれよともうレコーディングが始まって、“譜面読めるか?”と言われ“あ、読めます”って言ったら、じゃあこれやって、あれやってという具合に…受かってすぐに『B.B.クィーンズ』として、初めての記者会見というメディアに出て行く流れになり、そこからもう何が起きているのか分からない、本当に突然なんですけど、それがきっかけの……、私のTHE CHANGEでした」