“通るわけがない”と言われ合格発表も見に行かなかった

 京都市立銅駝美術工芸高等学校、現在は京都市立美術工芸高等学校と改称し、2年次から日本画、洋画、彫刻、漆芸、陶芸、染織、デザイン、ファッションアートの専攻を選択するという公立高校の中でも特殊な高校といえる。魚武さんは、共学・兵庫ではない――といった理由だけで入試に挑んだ。

「その状況で試験を受けることを決めた、というのが、ある意味転機ではありますよね。でも先生からは“通るわけがない”と言われてたので、俺は素直なんで“大人がそう言うんなら通らないんやろうな”と思っていました。でも、受けて気が済むんやったら受けてみよ、と思ったんです」

 試験当日、「やったこともない」というりんごの鉛筆デッサンや着色画実技などに挑むと、自分以外は着々と課題を仕上げていった。

「試験官が、りんごとか運んできたときなんて、 “りんご、練習してたからよかった”なんて小さくガッツポーズしているやつもいるし、“りんごを練習するって、一体どういうことやねん”と思って。俺だけ完全な場違い感というか、俺なんて中学の授業で使って洗わないままの、黒や赤の絵の具が固まったパレットをそのまま持ってきて試験受けてるようなやつやから。だから合格発表も見に行かなかったんです。先生も落ちると言っていたし、行ってもしゃあないと思って。でも受けるだけ受けたから、気が済んだわ、と思ってました」

 発表日、いつものように中学の教室で授業を受けていると、美術教師が勢いよくドアを開け魚武さんを呼んだ。

「先生がびっくりした顔で“美術の実技の試験が通った”と言うから、“ウソ⁉ あれ? なんで!? ”と思いました」

 そして、第二次試験の次なる筆記試験では京都の公立高校は9科目もあるのでマークシート形式だったため「マークシートやったら、俺イケるかも。潔く勘でいこう」と決めて、問題を読まずに全部勘でマークシートをぬりつぶした。記述式の数学の問題もあったが、天文学的な確率の幸運が舞い込んだ。

「数学の問題はわからなかったし、記述式の問題には答えを書かなかったんです。そしたらその日の夕方のニュースで“京都の公立校入試の数学の問題に、誤りがありました”って。で、無条件に点をもらえるということになったんですよ。あれ? これはもしかしたらイケるんちゃうか? と」