“あ、俺も海みたいになったらエエんちゃうか”と

 筆記試験の合格発表日、現地まで足を運んだ。掲示板には、自分の番号があった。信じられず「落ちたヤツの番号が書いてあるんか?」と思い、合格報告の電話をすることをためらい、しばらく番号を眺めていたという。魚武さんはいまでも「なんで通ったのかわからない」と首を傾げる。

「学校では、たとえば日本画の授業で、あたりまえやけど、すでにみんなめちゃくちゃ上手いんですね。俺は色の塗り方もわからんしさ、勝手にむちゃくちゃ描いてると友達が集まってきて“おまえなんで、この学校うかってん?”って聞いてくるくらいで、“俺もわからん”って言いながらやっていました」

 そんな高校生活は、下町で育った魚武さんにとってカルチャーギャップの連続だった。

「人間国宝の孫とかもおるし、いろんな奴らがいて。校則も自由で、私服だし、ブランド物を着ていたり化粧もアクサリーもしてたりするし、髪も染めててもええし、頭に銀粉まいてる奴もおるし。みんな自由で個性的。美大にもそういう奴らはいるけど、大学だとむりやり変わった振りをしている感じですが、この高校はほんまに個性的な奴だらけだった。“あの映画観た? よかったよね~”とかゴダールの映画をスピルバーグの映画のような扱いで話してたりするし、暗黒舞踏をアイドルを観に行くような感覚で語っているし、すべてが刺激的だった。そんな中にいることによって、俺は俺で、俺の中にあるこいつらにはないものを持っているぞというのが、俺の中で、どんどん発見できるようになってきて、さらに個性に磨きがかかりました」

 その後の進路は芸大への進学を勧められたが、「早く社会に出て好きなことをしたい」という熱量に押されたという。

「でも、社会に出てなにをするんだってなってもどんな仕事をしたらいいのかもわからへんし。とりあえずは職業を決めなあかんもんやと思って、まずは、どんな人間になりたいかを考えようと思って、地元の海に行って、テトラポットに座って考えながら海見てて。そしたら、ふと思ったんです。みんな“海ってすごいなあ。大きいなあ”とか言うけど、海は仕事なんかしてへんやんけ、と思ったんですよ。それで、“あ、俺も海みたいになったらエエんちゃうか”と思って。この瞬間も転機ではありますね」

 唯一無二の存在でありつづける魚武さん、その原点もまた、誰ひとりとしてなぞる隙のないオリジナリティの結晶だった。

(つづく)

三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお)
1963年、兵庫県西宮市生まれ。「自分を褒め讃える作品」しかつくらない詩人。1989年に『三代目魚武濱田成夫ー前代未聞の途中の自叙伝ー』、1992年に初詩集『駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない』を上梓。これまでに22冊の詩集のほか、詩絵本や自伝、エッセイ、朗読CDや朗読ライブDVDなどもリリースしている。これまでの詩人にはない前代未聞の試みを行い、著名人にもファンが多い。最新詩集『誰かと同じで素晴らしいぐらいなら誰ともちがって素晴らしくないほうが千倍かっこええやんけ』(G.B.)を2月10日に発売。