矢沢さんがどれだけすごい人かは後で知った
「それまで芝居の経験は全くなく、右も左も分からないまま現場に行って、棒読みでセリフを読んでしこたま怒られて、泣きながら帰る日々が続きました。矢沢さんが先生役だと聞かされていましたが、当時は矢沢さんをよく知らなくて(苦笑)」
──でも、音楽はやっていたんですよね。
「音楽は好きでしたが、パンクロックにしか興味がなく、日本のロックや邦楽はほとんど聴いたことがありませんでした。Jポップにはアンチで、凝り固まったアングラな人間でした。矢沢さんのお名前は知っていましたが、どれだけすごい人かは後で知りました。でも、それが芝居をする上では良かったのかもしれません。もし知っていたら、もっと緊張して、うまくできなかったかもしれません」
──実際にご一緒してみていかがでしたか?
「唯一無二のロックスターでした。毎回ドラマの最後に教室でピアノを弾くシーンがあって、それを生で見られたのはカッコよかったです。現場でご一緒できたこと自体がとても刺激的で、矢沢さんの存在感やプロフェッショナリズムから学ぶことも多かったですね。今振り返ると、矢沢さんのような圧倒的な存在感を持つ方と同じ現場に立てたことは、俳優としての自分にとって大きな財産になっています」

2002年には、代表作と自負するドラマ『木更津キャッツアイ』に出演。千葉県木更津を舞台に、高校時代野球部だった5人が昼は草野球チーム、夜は怪盗団として活躍する物語で、岡田が演じたうっちー(内山はじめ)はモヒカン刈りがトレードマークである。
「これはパンクの名残りです。最初の顔合わせの時まで音楽をやっていて、髪型がモヒカンだったんです。そのまま顔合わせに行ったら脚本家の宮藤官九郎さんに“カッコイイね”と言われて、そのままやることに。元々はおかっぱ頭の設定でしたが、ぶっさん(岡田准一)の実家の理髪店でモヒカンにされる設定に変えてもらいました」
『木更津キャッツアイ』が代表作となった一方、俳優としての転機となった作品はまた別に2作ある。