伝説の深夜番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(1989年2月11日~90年12月29日/TBS系)、通称「イカ天」は空前のバンドブームを巻き起こした。毎週土曜の深夜1時~3時という時間帯にもかかわらず、最高視聴率は7.8%という、いまでは考えられない驚異的な数字をたたき出した。
 その第3代グランドイカ天キング「たま」。ランニングシャツ姿でパーカッションを演奏した石川浩司は、バンドだけでなくイカ天ブームそのものを象徴する存在だった。
 バンド解散から20年。ミュージシャン石川浩司の「THE CHANGE」とはーー。
【第5回/全5回】

石川浩司 撮影/有坂政晴

「なんにもなりたくなかったんです」

 石川浩司さんは、本気でそう考えていたという。

「子供の頃によく、“将来何になりたいですか”みたいなことを聞かれるじゃないですか。根がグウタラだから、何も仕事しないで生きていければそれがベストだなと思ってたんです。でも高校を出たら、そのままだと仕事をしなくてはいけないというね、世の中の風潮といいますか……(笑)。“これはまずいぞ、とにかく時間稼ぎをしなくちゃ”と、少しでも働くまでの時間を引き延ばしたいという一心で、親にはとりあえず大学に行きますと言って、上京したんです」

 社会現象にもなった伝説のバンド「たま」でパーカッションとヴォーカルを担当。バンド解散後も「パスカルズ」をはじめ、複数のバンドで活躍している石川さんだが、最初からミュージシャンを目指していたわけではなかったという。

「高校の時は演劇部だったので、何か表現活動をしたいという気持ちはちょっとあったんですけど、“音楽をやりたい!”というところまでは、まだ思っていませんでした。

 ましてや自分で曲を作って歌おうとは全く思いませんでした。なぜかというと、僕すごい手先が不器用なんです。だからギターが全然弾けない、コードが押さえられなきゃダメだと思って。いまだにバレーコードが押さえられなくて指3本だけのコードで曲を作ってるんですけどね。

 でも音楽が一番手っ取り早かったんですよ。音楽だったら自分で適当に曲を作ってライブハウスに出ればいいかなと思ったので、とりあえずそれをやってみたという感じです。だからもし手っ取り早く他の表現方法とか他のことで認められたら、そっちに行ってたかもしれないですね」

 最初はギターの弾き語りで活動していた石川さん。パーカッションをやるようになったのは、当時住んでいた高円寺のゴミ捨て場で太鼓(スネアドラム)を拾ったことがきっかけだった。なるべく目標は決めないで、そのとき楽しいと思うことを継続したいという。