石川さんは稀代のコレクターとしても知られている。まだ売れない時代から、自分が食べ終わったインスタントラーメンの袋や飲み終わった空き缶を集め始め、その数は、ラーメンの袋が2000枚、空き缶はじつに3万個にもなる。それぞれ書籍化もされているが、現在も集め続けているという。

「一旦始めると終わらないっていうか、興味があるうちは、それを続けていきたいっていうのがあるんです。また何か新しいことに興味を持ったら、それを続けるかもしれないけど、それは今は分からない。年齢も年齢だし、どこかで収拾を付けなくちゃなというのはあるんですけどね。

 なるべく目標は決めないで、その場その場で面白いと思ったことをやっていきたいんですよ。たとえば、10歳の時に好きだったものが、20歳の時に好きかどうか分からないし、それがまた30歳の時に好きかどうかも分からないですよね。事前に目標を決めちゃうと、それに変に縛られちゃいますから」

アングライベント「地下生活者の夜」から「たま」結成へ

「上京してきて、すごく影響を受けたのは『突然段ボール』っていうバンドだったんですけど、商業的にはさして成功してないわけです。でもやっぱりパフォーマンス性とかステージングとかで僕、この時にすごい影響を受けましたね。僕が好きだったのはアンダーグラウンドなものだったりして、その時に売れていた商業的な音楽とかは好きじゃなかったんです。僕にとっての憧れのスターは、それで食えてないような人だったから、そこを目指すと自分もべつに食えることはないなと思ってました(笑)」

 一度始めたらなかなかやめないという性分は、バンド「たま」の結成にも関係しているという。

「僕は『たま』を結成する前に友人と2人で、『地下生活者の夜』っていうタイトルで、アンダーグラウンドの弾き語りの友達を集めてコンサートシリーズを始めたんです。最初は3回ぐらいで終わりにする感じだったんですけど、やってたら面白くなっちゃって、どんどん続けてました。僕、何でもとにかくしつこいんですね。一度始めたらなかなかやめない(笑)。

 とはいえ、出演者もせいぜい15人ぐらいでしたし、その中で繰り返しやってたので、だんだんちょっとマンネリ化してきたなと。それで第25回目の時に、ライブの企画として今回だけ“バンドごっこ”をしてみようっていうことになったんです。その組み合わせで、僕と知久くんと柳原が組んだバンドが『たま』だったということです」

 「地下生活者の夜」というライブイベントの企画の1つとして誕生した「たま」だったが、1984年の結成から解散する2003年まで、20年近くバンド活動を継続し、メンバーはそれぞれ「たま」以外の活動も続けた。

「上京してきた頃、とりあえずライブハウスには行ったんですけど、新宿とか渋谷とかではやれなくて、北千住や両国などでライブハウスのオーディションを受けていました。今でいうオープンマイク、誰でも歌える日みたいな感じですね。
 そのオーディションを受けてる2、3か月のうちに、今も付き合いのある相当数のメンバーとパパパッと出会っちゃって、『地下生活者の夜』もそういう人たちを集めて始めたんです。そこで出会った友達がすごい面白くて、それが後の『たま』のメンバーになったり、今『パスカルズ』で一緒にいるメンバーなんです」