東京都北区出身。1995年に『おしろい花』で演歌歌手としてデビューして以来、“ご当地ソングの女王”として、これまでに170曲を超えるご当地ソングを歌い続けてきた水森かおり。2003年の『鳥取砂丘』の大ヒットで『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、以降、実に23年連続出場という偉業を成し遂げている。
 常に笑顔で全国に歌の便りを届ける彼女だが、その道のりは決して平坦なものではなかった。「歌手をやめる覚悟」で挑んだどん底の時代から、女王と呼ばれる現在に至るまでの、水森かおりの“THE CHANGE”に迫るーー。【第1回/全2回】

水森かおり 撮影/河村正和

 私が生まれ育ったのは、東京の北部、桜の名所『飛鳥山公園』で有名な北区。下町情緒が残っている、とってもいい町です。そこが私のふるさとです。

 デビュー当時、「東京都出身者は、故郷に錦を飾るというハングリー精神がない」とか、「ふるさとを持たない歌手に、演歌は歌えない」とか言われたことがありました。

 はじめのうちは、“そんなこと言われてもねぇ”という感じで受け止めていましたが、2年がたち、3年が過ぎてもヒット曲と呼べる歌がないままで時間だけがどんどん過ぎていくうちに、もしかして、それもひとつの原因なのかなと、東京生まれであることに、コンプレックスを感じるようにもなっていました。

 ひとつの転機となったのは、1999年にリリースした7枚目のシングル、青森・津軽海峡に突き出た竜飛崎を舞台に歌った『竜飛岬』です。

 青森とは縁もゆかりもない私が歌うこの歌を聴いて、地元の人たちは、どう思うんだろうか。納得してくれるだろうか。それとも、「この歌は違う」と拒絶されてしまうんだろうか。不安を抱えたまま、地元の夏祭りで披露したとき、皆さんに、「ふるさとの歌ができたみたいで嬉しい」と言っていただけた言葉が、私自身の励みになりました。

 ありがたいことに、今では170曲を超えるご当地ソングを歌わせていただき、皆さんから、“ご当地ソングの女王”と呼んでいただけるようにもなりましたが、その原点が、この『竜飛岬』です。

 そして、そんな私に、歌手人生を左右する、さらなる大きな転機が訪れたのは、10枚目のシングル。たびたびサスペンスドラマなどに登場する『東尋坊』との出会いでした。