背水の陣で挑んだ2本目の滑り「自分が納得する滑りをしないといけない」

 退院した岡崎さんを待ち受けていたのは、厳しいトレーニングではなく、まずは入院中に蓄えた脂肪を除去する作業。「病院食はアスリート食だったようで普通にトレーニングしていた頃と同じくらい食べていた。気がつくのが遅く顔が2倍くらいになっていて、まずいぞと」。それからは、より汗をかくことに専念し「ひたすら自転車を漕いだ」と話す。

「ほとんどのトレーニングは実際にスケートを滑るときと同じ体勢を取らなければならないんですが、そうなるとおのずと手術した腰に負荷がかかることになりますよね。なので、まずはなるべく負荷をかけないようなトレーニングを重点的にやったり、腕、腹筋、背筋など部位ごとに鍛え直しました」

 身体の声に寄り添いながらのトレーニングの末、岡崎さんはスケートリンクに戻ってきた。ソルトレークシティ五輪のセレクションに参加するためだった。

「それを通過しないとオリンピックに行けないんです。年齢は当時30歳前後。セレクションでは2回滑るんですが、私は1回目が5位くらいで。1回目を滑り終えたあと、強化部長だった鈴木恵一さんに朋!と呼ばれて『表彰台に上がらないと、連れていかないぞ』と言われたんです。それで『わかりました! 乗ります!』と返事をしたのを覚えています」

 2本目は「ここで終わってもいい、くらいの気持ちで」スタートラインに立った。

「いままでで一番自分が納得するような、すばらしいスケーティングだったなと言われるような滑りを見せようと。それで悔いなく終わればいいかなと、『タイムや順位はいいや』と思ったんです。表彰台にはやるべきことをしっかりやらないと乗れない、それならまずは『自分が納得する滑りをしないといけない』と。そうしたら、なんと2本目で1位を獲ったんです」

 結果、総合3位で表彰台へ。まさに有言実行を果たした瞬間だった。すぐに強化部長のもとへ駆け寄り、「乗りましたよ、連れていってくれますよね?」と伝えたというエピソードを、笑顔で振り返る岡崎さん。目の前に立ちはだかる高く険しい壁さえも、彼女にとっては軽やかに飛び越えるためのハードルに過ぎないのだと、そう思わせてくれるのだった。