1995年にピン芸人としてデビューした永野。「ゴッホとピカソに捧げる歌」などのシュールなネタで注目を集める。映画・ロックフリークとしても知られ、2025年公開の初監督映画『MAD MASK』が、国際映画祭で賞を獲得した彼のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】

永野 撮影/イシワタフミアキ

 ちょうどその頃、『グッドフェローズ』って犯罪映画を観たんです。憧れのギャングになった青年がしくじって、殺されないために警察の司法取引に応じて仲間を売り、名前を変えて知り合いもいない田舎町に引っ越すんですけど、最後は彼の「これからは単調な人生を生きていく。死ぬほどつまらねえ」というセリフで終わるんです。

 背中を押された気分でしたね。

 東京に行けるんだったらなんでもいい、という理由で、日本スクールオブビジネスという専門学校に入りました。芸人になった後、この経歴を話すと、「なんだか怖い」と言われます(笑)。

 その後、芸人になってから40歳過ぎで「ラッセン」のネタ(『ゴッホとピカソに捧げる歌』)でようやくブレイクしましたが、それまでは、順風満帆とはほど遠い人生でしたね。

 でも、ブレイクしたらしたで、楽しくはなかったです。40過ぎのブレイク芸人ということで、その頃は「普通だったら怒るだろう」ってこともいっぱいされましたね。明らかにナメてるなって態度もたくさん取られましたよ。「40まで売れなかったのに、仕事もらえるってありがたいことじゃないですか」って思われてて。で、言う通りにしてたら、見事に飽きられちゃって。

 そんな中、コロナ禍になって仕事もほとんどなくなりました。ある番組で髪を赤く染めたんですけど、その後もその美容師さんにいろんな色に染めてもらったり……迷走してました。

 そのタイミングで、『鬼越トマホーク』のユーチューブチャンネルに呼んでもらったんです。

 ここで、ほんとに言いたいことを自由に言ったら盛り上がったんですよ。「都合の悪いところはカットしますか」と聞かれたので、「そのままでいい」と言ってたんですが、流しっぱなしのテレビと違って、ユーチューブは残るんですよね。後で大問題になって、事務所からはこっぴどく怒られました(笑)。