気がつけばいつの間にか訪れていた人生の分岐点。「あのときああしておけば」「もしも過去に戻れたら」――? かつての分かれ道を振り返り、板尾創路がいま思うこと。(第1回)

板尾創路 撮影/川しまゆうこ

 人生において、目の前に選択肢が現れることは誰にでもあることです。僕もそのたびに迷いますが、「考えたところで選ぶしかないんだから、どっちでもええんちゃう」という結論に達します。この連載では、僕の人生における「どっちでもええか」を振り返っていきたいと思ってます。

 最初から自分が決めたことではありませんが(苦笑)、今回の「どっちでもええか」は「板尾創路」という名前について。親も親戚も「いちろう」と呼んでいたので、僕は自分の名前の読み方を「いたお・いちろう」だと思っていたんです。それが小学1年生だったか、2年生だったか、おかんに「ほんまは“いつじ”と読むんや」と言われて驚きました。それまで、一度も「いつじ」と呼ばれたことがありませんでしたから。

 父が「真実一路」という言葉が好きで、姉を「真実」と名付けて、僕の名前は「一路」にしたかったけど、ひねりたくなったのか「創路」にしたんです。「創」には「物事を始める」という意味もありますから。それで「いつじ」と読ませたのに、「“いつじ”は呼びにくいから」と「いちろう」と呼ぶようになったそうです。