ブームを仕掛けるにはどうすれば良いのか
しかし『ガオレンジャー』のガオブラックとして出演するようになると、それまでとは違い、顔が知られていく感覚があったという。
「それまでは、戦隊ものシリーズでは、佐藤珠緒さんや千葉麗子さんとか女性タレントがブレイクするための登竜門だった。そこからグラビアに出て、バラエティ番組に進出していく。あの頃、男性で名前が売れていた俳優って、『筋肉番付』にも出ていた照英(98年『星獣戦隊ギンガマン』)や、ケインコスギ(94年『忍者戦隊カクレンジャー』)くらいだった。だから今度は男性タレントに力を入れていこうっていうムーブメントを作りたかった」
「じつは競馬で400万借金があったんです」と明るく語る。ここから酒井さんの起死回生が始まった。
「まずブームを仕掛けるにはどうすれば良いのか考えた。プロデューサーに“協力をしてくれるテレビ朝日の番組があったら全部教えてくれ”って頼んだ。もう“朝から晩までどんな番組でも良いから出たい”と伝えた。そうしたら『トゥナイト』(80年代~90年代の放送されていた深夜番組)で取り上げてもらった。
あとマスコミの記者さん。新聞や雑誌などで面白い記者がいたら紹介して欲しいと頼んだ。そうやって露出を増やしていったら、女性誌やスポーツ紙が食いついてきてくれた。気づいたら、玉山鉄二君が選ばれたガオレンジャーの6人目の戦士のオーディションに、プロデューサーと並んで僕も座っているんですよ(笑)」
「結局、純烈で僕がやっていることをガオレンジャーの時からやっていたんだよね」と続ける。
「僕にはプロデュース能力があるっていうのは、周りもなんとなく気づいていました。僕は“これからインターネットの時代になる”と確信していた。番組のホームページを作ることや、各事務所のマネージャーたちにも、俳優個人のホームページを作るように伝えた。周りからは”酒井君が言うなら本当だ“って言われましたね」
純烈のリーダーを務める酒井さん。ガオレンジャー時代に、プロデュース力が身についたという。ではどのようにして、学んでいったのだろうか。
「この時、映像業界の人たちや新聞や雑誌というようなマスコミの人たちから、“どうやったらブームになるのか”という流れや、ブレイクに必要なメンタリティを教えてもらった。それが純烈にも生かされていると思う。ガオレンジャーで一緒だった玉山や金子(金子昇)もどんどん売れていったからね。
その時の経営陣とも今もずっと繋がっている。僕はそういう世の中の流れというものを、だいたい8歳くらいから見てきた。今ちょうど48歳なので、人生のうち40年は毎日これの繰り返しみたいな感じです。売れる、売れないはべつとして、デイトレーダーみたいな感じでずっと分析していますね」
――ご自身や周りの人が輝ける場所を見つける能力が、優れているのですね。
「でも20代の時には、僕が芸能界に出る幕がないって気づいた。その決断は大変だったけれど、なにをやろうかって探せる時間になった。親とか周りからはね、“全然、働いてねえぞ”って言われていましたけどね(笑)」
純烈を語るうえでは、ムード歌謡以外のカルチャーの部分もはずせない。酒井さんが参加していたプロレス団体DDTプロレスリングの『マッスルマニア2019 in 両国~俺たちのセカンドキャリア~』では、アンドレザ・ジャイアントパンダという身長3mにも及ぶ着ぐるみレスラーが純烈に加入した(のちに脱退)。このような自由奔放な活動は、どのようにして生まれたのだろうか。
「純烈のコンサートの台本をスーパー・ササダンゴ・マシン(*DDTプロレスリング所属のレスラーで『マッスル』主催者)に書いてもらったり、DVDも東京サウンドプロダクションの下島班というテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』を撮っている人たちが、純烈のライブDVDを撮影してくれているんです」
酒井さんは、2006年にはサブカルの発信地ともいえる『新宿ロフトプラスワン』のプロデューサーにも就任している。メインカルチャーとアンダーグラウンドを行き来きするようになったのはどうしてなのだろうか。
「僕はいろんな変わった人と出会いたい。ロフトプラスワンも、マッスルもそう。元々は子役の時は『あばれはっちゃく』だからメジャーだったけれど、あらゆるカルチャーを行ったり来たりするのがとにかく好きなのです。その集大成として、やりたい放題やらしてもらっているっていうのが純烈。誰が加わっても大丈夫っていう気持ちですね。基本的にはお客さんに喜んでもらいたくてやってはいるんですけど、たまにはお客さんが全く喜ばなくてもやりたいことをやろうっていう時もあるかな(笑)」
筆者が、後上さんが好きなアーティストに『Hi-STANDARD』を挙げているのを驚いたと伝えると、「純烈はなにも隠さないんです」と軽やかに答えた。
「彼はHi-STANDARD以外にもKinKi Kidsが好きで、歌い方はKinKi Kidsなんです(笑)。純烈は、“全部そのままでいいよ”っていうプロデュースの仕方に近いんです」