ドリフターズの歌詞なら書けるかな

「四人囃子(注:1971年結成)っていう、日本を代表するプログレバンドがあるんですけど、知ってますか? 彼らと僕は同学年。高校は違ったんだけど、その頃ロックやってる連中って少なかったんで、いろんな学校行ってあいつちょっと友達になろう、みたいな感じの日々があったときに、後に四人囃子を結成する岡井大二や森園勝敏と知り合ったんです。僕は自分の学校の友達とバンドをやってたんだけど、高校2年の時に二人のプロデュースで自費制作レコードを作ったんですね。そのあと、僕は大学に進んだけど自分のアルバムを出したくなって、彼らの紹介でレコード会社に通っていた時に、ディレクターから“君、詞だけ書いてみない?”って言われたんです。

 話すとすごく長くなるからはしょるけど、それが渡辺プロダクション(※)関連の仕事だったわけです」(※渡辺プロダクション クレイジーキャッツをはじめ、イザワオフィスに移籍する前のドリフターズが所属していた)

――どのような曲を書いていたのですか。

「最初は、木の実ナナさんの曲を頼まれたのだけれど、20歳そこそこの男が大人の女性の歌詞を書けるわけがなかった……。残念ながらボツだって言われた時に、別のプロデューサーが“森くんは、ドリフターズの歌詞なら書けるかな”ってチャンスをくれたのです。僕が書いた歌詞は、渡辺晋社長(注:渡辺プロダクション創業者)という、日本のショービジネスを作った方が直々に見てくださったんです。1年ぐらい、ダメ出しを受けていましたね」