周りから見ると相当目立っていたのかもしれない(笑)

 恩師のように指導してくれたという渡辺社長について森さんは「厳しいけれど、愛に溢れた方でした」と語る。

「僕はね、ロッカーだったから10センチのハイヒールの靴を履いていたんです。当時の渡辺プロにはエレベーターがなくて、ギターを担ぎながら、6階まで階段を上っていく。ビルの狭い階段に僕のヒールの音がカツカツカツって響いていたのが、まだ頭に残っています(笑)。

 当時は、長髪でヒールのある靴を履いたその姿で大学にも通っていました。ギターケースを抱えて、その頃流行り出した度つきのサングラスを掛けて。その姿で電車に乗ってたら、前に座っていたサラリーマンが僕のことをスケッチしはじめたこともあった(笑)。

 スケッチする人も偉いな~って思ったけれど、珍しかったんでしょうね。そういう意味では、周りから見ると相当目立っていたのかもしれない(笑)」

 ミュージシャンとしてのデビューは叶わなかったが、森さんは20代でプロの作詞家としてデビューを果たす。

「20歳から渡辺プロに通うようになって、22歳で作詞家デビューしました。僕のデビュー曲は『ドリフのバイのバイのバイ』(1976年発売)になっているけれど、正式にはその1年前にドリフの映画『正義だ!味方だ!全員集合!!』(1975年公開)のなかで、英語塾の設定でいかりやさんとみんなのやりとりをギャグにした劇中歌を作ったんです。それが本当のデビュー作なんだけど、まあ、レコードじゃなかったから」