永六輔さんが見抜いた外山惠理アナの面白さ

 大波乱で始まった外山さんのラジオ人生。それでも外山さんは、『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』から後継の『六輔七転八倒九十分』まで、16年もの間、永さんのアシスタントを務め続けた。

外山「とにかく私は本当にものを知らなさすぎて。みなさんが知っているような歌謡曲とかを知らなくて、同い年ぐらいのリスナーから“私は知っています”なんてツッコミのハガキが来るぐらいなんですよ。本当は知らないって言いたくないんですけど、知ったかぶりもできないレベルで知らないので、わからないって顔をしちゃうんですよね」

TBS・外山惠理アナウンサー 撮影/三浦龍司

 確かに当時の放送でも、永さんが外山さんにいろいろと教え、説明する場面はたびたびあった。しかし、永さんが外山さんを最後まで外さなかったのは、それがあったからのようだ。

外山「新聞の読者欄に、TBSラジオの外山というアシスタントはものを知らなさすぎる、という投書が掲載されたんですよ。永さんはその新聞でコラムを連載していたんですが、そこで、彼女がものを知ったときの新鮮さがいかに素晴らしいか、ということを書いてくださったんですよ。ありがたいし、こんな方に出会えたって、すごいなって思いましたし、感動しましたよね」