2002年に俳優デビューを果たした桐谷健太。ドラマ「ROOKIES」の平塚役で知名度を上げ、2015年から始まったauのTVCMソングで歌手デビューも果たした彼は、今年で俳優生活22年を迎える。彼の俳優人生におけるCHANGEを聞く。【第2回/全5回】 

桐谷健太 撮影:有坂政晴 ヘアメイク:岩下倫之(Leinwand)スタイリスト:岡井雄介

 近年では主演作も多数こなすベテラン俳優として活躍し、3月3日から放送スタートのWOWOWドラマ「連続ドラマW 坂上の赤い屋根」では、女子高生両親殺害事件を追う中で黒い感情に巻き込まれていく編集者を演じている桐谷さん。芸能界を目指す中で人生のCHANGEとなった出会いとはーー。

気付いたらフェラーリではなくママチャリに乗っていた

 芸能界を目指し行動するなかで、あらゆる出会いを通してこの世界へと導かれていった桐谷健太さん。ただ、出会いに恵まれているからといって普通はトントン拍子にはいかないもの。桐谷さんなりの秘策があったのだろうか?

「秘策なんてないですよ。ただただラッキーだっただけで。でも僕は、人が好きなのと、昔からエネルギーに満ち溢れたキャラだったので(笑)、それがいいふうに働いたのかも。ただ、出会いには恵まれていましたが、上京してすぐにうまくいったわけではないんです」

 インタビューでは、「上京後はフェラーリやポルシェといった高級車に乗れると思っていたのに、いざ東京に出てみたらママチャリを乗り回していた」と桐谷さんは苦笑いを浮かべる。

「僕はほんまに妙な自信だけはあって、上京した途端にスターになれると思っていたんです。でも何をやってもうまくいかなかくて、天狗になっていた鼻がどんどんポキポキ折れていって、最後は鼻がもげそうになっていましたね。暇すぎて17時間ぐらい寝てることもありましたし、しょっちゅう金縛りにあったりして、俺は何をやってんだろうって(笑)。気がつけば俳優になりたいという情熱の炎みたいなものが小さくなっていって、最後のスッと煙が出て消える直前のような状態でお芝居を続けていました」

 なかなか思うようにいかず燻っていた桐谷さんは、俳優の養成所でレッスンを受けたくてもお金がなかったという。

「レッスン代はないけどお芝居はしたい。すると、養成所の先生が大手事務所に所属する女優さんのレッスン相手として呼んでくれたんです。行くと、毎回3000円のクオカードがもらえるので、お芝居ができるし、バイトにもなるし、最高やんと。それでも精神的にキツくて、人間不信にもなっていたので、この相手役が終わったら半年ぐらい休もうと思っていたある晩、養成所の先生から“今お前何してる?”と連絡がきたんです」