「時間ができたんで」楽曲制作を開始

「やめると言っても、『週刊少年サンデー』と当時は月刊だった『ビッグコミック』(ともに小学館)の仕事は続けていました。それで時間ができたんで、毎日1個ずつ、歌の作詞を始めたんです。それができたら、作曲を1日1個ずつ。それが終わったら、レコーディングを1曲ずつ吹き込みました。それをレコード会社に持っていったら作ってくださいって、すぐレコーディングが決まったんですよ」

 これが75年にソニーから発売されたアルバム『闇のアルバム』になる。高校時代は漫画そっちのけでピアノ演奏に夢中になっていたこともある楳図さん。漫画だけでなく音楽の才能も併せ持っていたのだ。

「持ち込んだのが、ソニーの有名なプロデューサーの酒井政利さんだったんです(山口百恵や郷ひろみを手掛けた)。僕は漫画ばかり描いていたから、全然、知らなかったんですが。レコーディングをしたときは、当然、漫画も描いていたんで、もう死にものぐるいでやりましたね」

 再び、多忙な状態になってしまった楳図さん。この『闇のアルバム』は長く廃盤だったが、9月13日にアナログレコードで再発売されることが決定した。なんと48年ぶりの再発売。才能は時を超えるのだ。

 この音楽活動も大きなCHANGEなのだが、『闇のアルバム』を出す数年前、時間的な余裕ができた楳図さんに大きなCHANGEが訪れる。ギャグ漫画への進出だ。

「僕がギャグをやりますよと、手をあげたんです」

 

『週刊少年サンデー』(小学館)で『漂流教室』、『少女コミック』(小学館)で『洗礼』と大作を描きあげた楳図さんだったが、その勢いはまだまだ衰えなかった。

「『サンデー』の編集の人が、赤塚不二夫さんがやめてギャグ漫画がなくなってしまった。“ギャグのサンデー”と言われているのにギャグ漫画がないって嘆いていたんですよ。それだったら僕がギャグをやりますよと、手をあげたんです」

 そして始めたのが、老人が薬の力で若返り大暴れする『アゲイン』だった。

「楳図さんはホラーのほうがいいんじゃないですかって言われたんですが、大丈夫です、自信ありますと言い切りました。過去にギャグの入った『ロマンスの薬あげます!』という漫画を描いていて、けっこう人気があったんですよ。『ロマンス~』は惚れ薬を使っていて、『アゲイン』は若返りの薬。発想は単純ですけどね、物事は単純なほうが強いんです」

 その『アゲイン』の主人公、沢田元太郎の孫が沢田まこと。若返った元太郎はこのまことと大暴れするのだが、これが好評で、スピンオフの形で『まことちゃん』につながる。読者にとっては意外な転向に思えたが、『まことちゃん』は「グワシ!」が流行語になり、アニメ映画まで制作されるほどの人気作となった。ホラー漫画の大家は、ギャグでもすさまじい成功を収めたのだ。

「ギャグをやったのは、まわりの状況がそうだったから、やったということです。雑誌が怖いものを求めていないときにホラーを描いてもダメですし、無理にやるっていうのは、やめたほうがいいんですよ」

 このとき、楳図さんは40歳。その活躍は、その後もまだまだ続く。