「双葉社 THE CHANGE」がスタートしたのは2023年5月25日。吉祥寺にあるホテルで楳図かずおさんにお話を伺ったのは、同年6月上旬、87歳のとき。立ち上げて間もないサイトのインタビューに快く応じて下さった。
今回は、先月28日に亡くなられた楳図さんの訃報に接し、追悼の意味を込め、2023年7月に掲載した記事を再掲し、楳図さんの人生の転機と、その含蓄深い言葉の数々を、皆さんにお届けしたい。謹んでご冥福をお祈りいたします。【後編】
ホラー漫画という新しいジャンルの開拓。そしてかわいらしいだけではない、リアルな人間としての魅力を持った少女の絵柄。苦労の末にこれらを手にした楳図かずおさんは、1960年の後半には、超のつく売れっ子漫画家となっていた。その忙しさは、想像を絶するものだった。
「ちょうど『おろち』(1969~70)を描いていたときは、週刊連載を3本、月刊連載を3本、そのほかにもいろいろと描いていました。今でも信じられませんね。朝の4時まで仕事して8時まで寝て、起きたらまた仕事。明日は死ぬって毎日、思っていました。体が弱っていくのが分かるんです。ごはんを食べても、お茶碗に1杯しか食べられなくて、それが胃にストーンって入るだけ。胃腸がまったく動いていなかったですね。そんな状態で、2日に1本ずつ漫画を仕上げていました」
そんなときに、さらに過酷な仕事が舞い込んでくる。
「『少年キング』(少年画報社)に連載していた『ねこ目小僧』が、次は4色と2色(カラー)でやってくださいって頼まれたんです。“これはやばい”と思いましたね。今、作業している漫画の次の次の回だから、ストーリーもなにも考えていない。
アシスタントも7人いたんですが、急きょ助っ人で1人追加で来てもらって、なんとか描きあげたんです。でも次の日に起きたら顔が黄色くなっていて、黄疸ですね。すぐ病院に行って、もう連載はやめるって、仕事を減らしたんですよ。肝臓を壊す一歩手前でした」
なんとか一命を取りとめ、仕事を減らした楳図さん。そのことで大きな転機を迎えることになる。