師匠が父親に代わって教えてくれた“大切なこと”

 鈴木さんは始終朗らかに語ったが、子供のころに父を亡くし、生活が激変しただろうし、盆栽の修行もかなり厳しいものだったに違いない。最後の弟子として、盆栽の世話だけでなく師匠の身の回りのこともこなし続けなければならず、人一倍働いたそうだ。

「修行に入ったその日から、兄弟子と同じ、狭い部屋で寝泊まりする生活でした。朝は4時半に起きて掃除洗濯からはじまり、布団を干したり、トイレ掃除まで全部やりました。師匠の朝食も準備しました。料理に合わせた器を選んで、きれいな朝食を整えるのも盆栽の勉強になるんですよ。
 ちゃんとできると師匠は褒(ほ)めてくれました。18歳の僕は、それがすごく嬉しくて励みになりましたね。きっと僕に父親がいないことを案じて、厳しさと深い愛情をもって、盆栽の道を心込めて教えてくださったのだと思います」

鈴木氏が育てる中には、大隈重信が愛でていた盆栽も ※提供写真

「修行を終えて独立しましたが、母は園芸店の経営に失敗してしまい、小さなアパートで暮らしていました。残っていたのは借金だけ。どうしたらいいかと途方にくれましたが、師匠から教えていただいた技術が僕を助けてくれました。
 盆栽には、整形してきれいにする“針金かけ”という大切な工程があります。そこで僕はプロの方のところを回って、針金かけを請け負わせてもらったんです。でも、作業場がないから、ハイエースの中古車を買って、盆栽を預かっては千曲川のほとりで延々と針金をかけ続けました。この針金かけは当時で月70万くらいは稼げたんです。おかげで母の借金も完済でき、何万点もの盆栽の針金かけをしたことで、より技術が磨かれました」