◼︎人生の転機が訪れたのは96年、30歳のとき
今は相撲界でもコンプライアンスが厳しく、イジメ問題なども表面化していますが、「差別」と「区別」は違うんです。
古い人間だと思われるかもしれませんが、私が過ごした昭和の相撲界は、あくまでそういう世界でした。
当時、力士が相撲協会から給料がもらえるのは、関取(十両以上)になってからです。幕下以下は、場所ごと(2か月に1回)に数万円のお金が支給されるだけなので、十両に昇進することが、第一の目標になるわけです。
母親から言われた「3年」はあっという間に過ぎて20歳を迎えました。
もう辞めようと思い母親に話したところ、「今までは未成年、これからが本当の3年」と言われ、88年、23歳の名古屋場所で私は新十両に昇進。翌年1月の初場所で幕内力士になることができました。
師匠・大島親方は、私にとって父親のような存在です。相撲界、政界を離れても、変わらず見守ってくれた師匠こと「オヤジ」は、昨年10月、帰らぬ人となり、私も還暦を迎えました。
思い返してみれば、私の人生の転機が訪れたのは96年、30歳のときでした。
当時、現役の幕内力士だった私は、年齢もあって、体のあちこちにガタがきていました。「十両に落ちたら辞める」と宣言していた自分が、9月の秋場所は前頭9枚目で6勝9敗と負け越し。場所後に、痛めていた両ヒジと右ヒザの手術をしたのですが、漠然と「これからどうしようかな?」と悩んでいました。
そんなとき、相撲界を紹介していただいた方から、「衆議院を目指してみないか?」というお話をいただきました。
(つづく)
旭道山和泰(きょくどうざん・かずやす)
1964年10月14日生まれ。鹿児島県徳之島町出身。中学卒業後の80年夏場所、大島部屋から初土俵を踏む。88年名古屋場所、新十両昇進。89年初場所、新入幕。92年秋場所、新三役昇進。180センチ、107キロの小兵ながら、鋭い張り手などを武器に人気を集めた。96年秋場所後の10月、新進党から衆議院総選挙に出馬し、比例近畿ブロックで当選。髷を付けたまま、国会議員として登院した。3年8か月の衆議院議員活動の後は、「ABEMA大相撲LIVE」で大相撲解説を務めるなど、多方面で活躍中。