1980年夏場所、大島部屋から初土俵を踏み、力士として活躍。1996年、30歳の時に新進党から衆議院総選挙に出馬し、比例近畿ブロックで当選。現在は前衆議院常任理事を務め多方面で活躍中の旭道山和泰。彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

旭道山和泰

 実は、これまでも選挙に関するお誘いがなかったわけではありませんでした。私が育った鹿児島県の徳之島は、政治に関心が高い土地なので、人並み以上に興味があったかもしれません。

 手術が終わった10月初旬、小沢一郎新進党党首(当時)にお会いして、出馬の打診をされ、選挙に出る気持ちが固まりました。ただ、衆議院選は約2週間後の10月20日とスケジュールが迫っていました。

 まずは、15歳からお世話になった師匠に話をしました。突然の話のため頭を抱えていましたが、師匠も進退伺を持って理事長のところに一緒に行ってくれました。

 また、相撲協会に所属している力士としては、出馬するにあたって、力士を辞めなければならないため、廃業届を提出しに行きました。

 ところが、境川理事長(元横綱・佐田の山)は、「今は、廃業届は保留にする。まずは戦って来い!」と、私の決意を後押ししてくれたのです。嬉しさよりも、「(選挙に)負けて戻っては来られない」と、責任感が先に立ちました。

 比例近畿ブロック10位という立場で、2週間の選挙戦を終えた開票日の夜は、大阪の党事務所の近くのホテルのテレビで状況を見守っていました。他ブロックの新進党の候補者が次々に当選を決めて行く中、日付が変わろうとしていました。

 私が当選したという速報が流れてきたのは、23時55分。比例区からは(当選者156人中)153位という、まさにギリギリでの当選です。運もあったと思います。

 そして、相撲協会理事長に正式に廃業届を受理して頂きました。

 でもすべては、私のムチャな挑戦を後押ししてくれた大相撲関係者、応援してくださった皆さんが助けてくれたおかげです。