日本初のラジオの女性DJであり、数々のヒット曲を生んだ作詞家。日本作詩家協会元会長、現顧問の音楽評論家。日本のエンタメ界を昭和・平成・令和と先導する湯川れい子さんが新著『私に起きた奇跡』を刊行した。この中で「私の仕事は、『元祖・推し活です』」と自ら評するように、エルヴィス・プレスリーをはじめ、歴史的なスーパースターを「推し」続けてきた70年余り。バイタリティ溢れる湯川さんの「推し活」ヒストリーはもちろん、昭和を彩った名曲のエピソードなどもたっぷりと語ってくれた。【第3回/全5回】

「モダンジャズの世界にズボっとハマった」と話す湯川さん。1950年代中盤は日本の復興とエンタメの興隆が重なり、エネルギッシュな日々になる。
「エルヴィスに出会う前、1954年から『コンボ』というジャズ喫茶に通ったのは、思い出深いです。有楽町の駅前にバラックの2階建ての棟があって、そこにあったのが『コンボ』。小さなテーブルがいくつかあって、青い椅子があって、当時Hi-fiって表のガラス戸に書いてあったんです。要は蓄音機じゃなくて、LPを再生できる機械があったんですね。ここに来ると、いい音でいろんなジャズを聴けた。アメリカで出始めたLPがすぐ聴けるんですよね。米軍の兵隊さんたちが、持ってきた、最新のモダンジャズのレコードをかけてましたね。
もう本当にモダンジャズにズボっとハマってしまって、明けても暮れても時間があれば有楽町の『コンボ』に通い詰めて、聴いていたんです。売り出し前の秋吉敏子さん(ジャズピアニスト)も来ていたし、渡辺貞夫さん(サックス奏者)もまだ無名の時代で、毎日のように座っていらした。大橋巨泉さん(ジャズ評論家、放送作家、司会者)はまだ早稲田の学生で、下駄を履いて、煮しめたような手ぬぐいを腰からぶら下げて来ていましたね(笑)」