作品を人に見てもらえるという喜びを知った

 親を泣かせてまで魚武さんがやりたかったこと。それは、ただただ老若男女さまざまな人間に、"作品”を見てもらうことだった。

「服にもいっぱい詩が入っているんですけど。なんでかって言ったら、俺が行ってた美術の学校は、まだ高校生なのに展覧会に出品できるんですよ。そのときに初めて作品を人に見てもらえるという喜びを知ったんですね。あとね、作品を売ってもいいんですよ。褒め言葉は、お世辞でいくらでも言えますが、買われるってことはほんまってことじゃないですか。俺の作品を美術科の先生が買ってくれたこともあって、それって説得力があるじゃないですか。“ほんまに俺の作品を『いい』と思ってくれたんや!”って」

 そして話しながら、あらたまった視線をこちらに向け、「今日初めて会いましたが、次に会うと2回目ですよね。“初めて”ってもうないんですよ。“初めて”って1回しかないんですよ」と熱のこもった口調で言う。

「"初めて”って、それぞれの事柄に一度ずつしかなくて、だからすごくロマンチックだし貴重だと思うんです。それと一緒で、俺の作品を初めて見た人の、初めて見た瞬間のその人の顔が見たいんですよ。でもね、残念ながら普通は見れないんですよ。絵もそうだけど、なぜならその人の顔の正面には作品があるから。でもめちゃくちゃ見たかったんです。それで考えたんです、作品の中に入ったらええんやって。服にしたら、中に入れるやん、って思った。で、服に詩や絵や書を入れるようになった。そうすれば、この格好を見た瞬間の初めての顔を、俺は見れるんです。それを見たことがあるやつと見たことがないやつ、その差は絶対あります。だってピカソですら見たことないですから」

 ほんの数分前、たしかにその瞬間を目の当たりにした。見ていた人の顔を、魚武さんは見ていたのか。

「俺はそれを見続けているんです。たとえば映画だとしたら、観たあとに監督に“すごいですね”と言うじゃないですか。でも、それって観た“あと”の顔であって、見た瞬間の顔じゃないんですよ。俺の作品を見た瞬間の、あるいは読んだ瞬間の顔を、その人の正面から見たいんです。どんな顔してるのか。驚いている顔なのか、すげえって顔なのか」

 そしてもうひとつ、路上でこの服を着て、あちこち練り歩いていた理由がある。