ちゃんとしないほうが大変
「なるべく社会と合わせずに生きていると、“こうじゃなきゃいけない”みたいな圧を押しつけてくるし。ただ思うのは、よく子どものときとか若いときに“ちゃんとしなさい”みたいなことを言われてきたけど、まあ“ちゃんとしてないんやな俺”と思うんですけど、40歳すぎたくらいから、その気になれば“ちゃんとできるようになった”んですよ。つまり、ある程度成功したりすると、ちゃんとしようと思えば、ちゃんとできるようになってくる、んやけど……」
魚武さんは、タバコに火をつけながら、少し間を置いて続ける。
「"ちゃんとしろ”って言うけど、ちゃんとしないほうが大変なんです。だから、ちゃんとできそうになったときに、"それはあかん”と思って、その誘惑に負けないように、ちゃんとしないように意識しているんですよ。それのほうが大変。ちゃんとするのは簡単なんです。会社員になって給料もらっても“ちゃんとしてる”し、結婚して家あったら“ちゃんとしてる”し、世間が言う“ちゃんとしてる”なんて全然方法あるじゃないですか」
――たしかに、“ちゃんとする”のは、社会にわかりやすい正解がたくさんありますね。
「“ちゃんとしない”をキープするのって、難しいねん! ちゃんとしないことがどれだけ大変か、おまえらにわかんのかと。やってみろと思いますね。ちゃんとできるのにちゃんとしないようにしているわけだから。最近、それをすごく思います」
――“ちゃんとしない”ことが創作活動と地続き。
「そう。それこそがプロ意識やし、そのほうがホンマの意味で、よっぽど“ちゃんとしてる”でしょ。だからすごく難しい。あと、年齢は本当にどうでもいいけど、逆に反省することはあります。同じ年の“私”って言うやつらを見て反省するんじゃなくて。俺は同世代のいろんなことをやっている人たちに比べてまあまあイケてると思っているんですね。けどね、世代関係なくオールタイムで見たときに、上の世代の人らに比べたら、まだまだちょっとパンチが足りないなって思いますね。もう亡くなっている人も含めて比べると、ちょっとパンチが弱い。それで反省するんです。もっと行かなアカンと」
いつの間にか灰となり崩れるタバコを灰皿に押し当てながら、魚武さんは続ける。
「まあでも、60すぎてまで自分を褒めたたえる詩だけを書き続けれるわけないと思われてたわけじゃないですか。でも俺は、相変わらず誰になんと言われようとも書き続けている。プールがあったとしたら、俺はそこに飛び込んでわけわからん泳ぎ方していて、それを上から見た大人たちが“そんな泳ぎ方じゃ無理”と言ってきたけど、俺は“ほっとけ”と言って泳ぎ続けた。それで、向こう岸まで俺が着いた瞬間に、どうじゃ! って感じで、そいつらの顔を観たら、みんなバツが悪そうな顔をしてた。それでも俺はさらに上がらずにターンして、この泳ぎ方を続けてるんです。もっともっと見せつけるんですよ、まだ泳げるけど? あら! まぁ! って」
三代目魚武濱田成夫(さんだいめうおたけはまだしげお)
1963年、兵庫県西宮市生まれ。「自分を褒め讃える作品」しかつくらない詩人。1989年に『三代目魚武濱田成夫ー前代未聞の途中の自叙伝ー』、1992年に初詩集『駅の名前を全部言えるようなガキにだけは死んでもなりたくない』を上梓。これまでに22冊の詩集のほか、詩絵本や自伝、エッセイ、朗読CDや朗読ライブDVDなどもリリースしている。これまでの詩人にはない前代未聞の試みを行い、著名人にもファンが多い。最新詩集『誰かと同じで素晴らしいぐらいなら誰ともちがって素晴らしくないほうが千倍かっこええやんけ』(G.B.)を2月10日に発売。