初めて「世間」というものに触れた瞬間だったのかもしれない
――藤原さんが高校2年生の時、門司港にあるご実家の旅館が破産してしまいました。その時、藤原さんが大切に持っていたSP盤をある人に取られてしまった。それに対して、ものすごく腹が立ったそうですね。
「僕はお坊ちゃん育ちで家が裕福だったこともあり、それまで怒りを覚える子ではなかった。ところが家が破産した途端、父親と仲の良かった人たちが家にやってきて、いち早く財産を回収しようと競うように家財を持ち運んでいったんです。特に、人夫を連れてきて一目散に運び出させていたのが、僕のことを“新也坊”と可愛がってくれたオヤジだった。破産後、人間が変わってしまったんだね。僕と姉が持っていたSP盤まで持っていこうとして、そこで僕は初めて怒りを覚えた。玄関のあがり口にいたそのオヤジのところまでSP盤を持っていって、玄関に投げつけて割ったんです。おふくろはびっくりして涙を浮かべていたけれど、あれがどういった涙なのか、いまだにわからない」
――その時、「えっ、こんなことをしてしまう自分なのか」という戸惑いはありましたか。
「人間に対する不信があったんだね。今まで“新也坊”とかわいがってくれた大人が豹変して、子どもの持ち物まで皮をはぐように持っていこうとした。あれが初めて「世間」というものに触れた瞬間だったのかもしれない。僕は大人になった今でも、「不正」に対する怒りがあるんだけど、あの時に芽生えた怒りの因子が残っているのかも知れない。感性が柔らかな時の仕打ちだったからね」
――高校生の時ならば、当然、それまでに芽生えている自我があったはず。実家の破産は自己否定には繋がらなかったのでしょうか。
「破産による自己否定はまったくありません。幼い頃に温かな家庭で可愛がられ、世間や人間に対する恨みが一切なく、全てを信用していられた自分がいた。そういう世界を経験できてよかったと思っています。もし最初から感情的な飢えや怒りを持っていたら、今の自分と違う自分になっていたと思う。何一つ不自由ない、愛情に満たされたゆりかごの時代があることは僕の財産でもある。破産後の暮らしも含めてその両極端があるからこそ、今の自分は成り立っている。あれほどの天国から地獄はありませんから」