『水戸黄門』や『相棒』シリーズといった名作への出演にはじまり、「温泉俳優」なる新ジャンル開拓や、情報バラエティのMC、近年は自ら「ゴーストハンター原田」と名乗る心霊系YouTuberとしての面など、さまざまな顔を持ち合わせる原田龍二。不祥事謝罪会見を成功させた稀有な芸能人でもある。紆余曲折を経て、今年10月には55歳を迎える原田さんのTHE CHANGEとはーー。【第2回/全4回】

人気俳優の登竜門と呼ばれる「ジュノン・スーパーボーイコンテスト」。原田さんも実はその出身者のひとり。1990年、第3回の準グランプリ受賞者だ。そして1992年に野村宏伸さん主演の学園ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)で、生徒のひとりを演じてデビューした。
――長いキャリアのなか、特に記憶に残る先輩を教えてください。
「そうした質問には、『水戸黄門』でお世話になった里見浩太朗さんとか、『相棒』の水谷豊さんを挙げることが多いんですけど、いまパッと浮かんだのは、田村正和さんのお兄さんの田村高廣さんです」
※田村高廣(たむらたかひろ)1928~2006年。坂東妻三郎の四兄弟の長男で俳優。田村正和、田村亮の兄。
――いつ共演されたのですか?
「ナショナル劇場という大きな枠で、時代劇で連続ドラマの初主演をした『南町奉行事件帖 怒れ!求馬』(TBS系)です。1997年ですね。今でいうフリーターのような主人公。お奉行様のおじいちゃんを田村さんが演じられていて、孫とおじいちゃんの関係が主軸の勧善懲悪の時代劇でした」