レコーディングまでの準備期間は2か月「お金がなくて自前のベースが用意できず、高校の後輩から借りました(笑)」
このときすでに、デビュー日は決まっていた。寺岡さんには、ベースを猛練習する日々が待っていたという。
「メンバーに誘われたのは、1987年12月の暮れでした。デビューは翌1988年5月と決まっていて、その年の2月に最初のアルバムのレコーディングが控えていました。準備期間はわずか2か月しかないから、しゃにむに練習しましたよ。実は、最初のレコーディングではお金がなくて自前のベースが用意できず、高校の後輩から借りました(笑)。今どきのバンド事情とはずいぶん違いますよね」
奇跡が奇跡を呼ぶ展開で、憧れのメジャーデビューを果たした寺岡さん。バンドが人気を博すのと反比例するかのように、苦しさが増していったという。何が苦しかったのだろうか?
「当時も、夏フェスみたいなイベントがあったし、他にもかなりライブをやりました。僕は、本来バンドマンがするような下積みをほとんど経験しないまま、ラッキーなことにデビューできてしまったから、実力が追い付かなかったんです。イベントでは、たとえジュンスカの出番が後のほうでも、出演バンドのライブを全部見て勉強しましたね。
すると、どのバンドも地力があって演奏がうまくて。ベースに注目すると、今度は“どうやって弾いているんだろう”とか“自分には弾けそうにない”と気になって、焦りました。なかでも、LÄ-PPISCH(1987年デビュー)のベース、tatsuさんを見て、そのスキルに衝撃を受けました。このバンドブームの中で、一番初めに脱落するのは自分だなという思いが募りましたね」