リゾート地で合宿レコーディング「宴会には参加せず、ファミレスに車を走らせて、その間も歌詞を書いていました」
「当時は安心なんてできなかったですし、まだまだ不安ばかりでしたね。なんというか……“もっとできるはずだ”とか、“もっと違う景色を見たい”っていう感覚だったんですよ。練習のおかげでコードが弾けるようになっただけでなく、日本のポップスの最高峰であるユーミンさんの楽曲から、いろいろな素晴らしいものを受け取った気がします」
90年代初めは、空前のバンドブーム。寺岡さんは、間近で綺羅星のようなバンドが現れては消えていくのを目の当たりにしたはず。だからこそ、音楽を続けるために自分の焦りを前向きな力に変え、努力を惜しまなかったのだろう。
「バンドブームのころは、河口湖や山中湖、軽井沢などのリゾート地でバンドのメンバーが1週間とか合宿しながらレコーディングすることが流行(はや)っていたんです。当時の僕は、お酒が飲めなかったので、晩ごはんの後の宴会には参加せず、山中湖沿いのファミレスに車を走らせてその間も歌詞を書いていました。
それは僕がストイックだったからとかじゃなく、単にお酒の楽しみ方を知らなかったっていうのもあるかもしれないし、そうやって自分を追い込まずにはいられなかったんです」
日夜努力を重ねバンドマンとして成長していった寺岡さんは、1993年、ソロへと転身した。
「自分がやりたいことをやるためにソロになったはずなのに、全然曲ができなくなったんですよ。26歳くらいから29歳くらいまで、長かったですね……。もちろん、毎日楽器を触っていましたし、一晩中もがいても朝になって1曲もできていないんです。真冬でも、真夜中でも、街をさまよい歩きながら歌詞を考えたけど、それでも全然出てきませんでした。本当にきつかったです」