笑顔の裏にあった努力「調整がギリギリ間に合ってよかった〜〜!」

ーー岡崎さんの存在感は圧倒的で、ゴール後の笑顔が“朋美スマイル”と呼ばれ国民的フィーバーを生みました。

「メダルを取れたので、メダリストとして評価されることはすごくうれしかったけど、一夜にして環境が変わったのには、すごいなあと思いましたね。たとえば、サインを相当な数書いて寝るじゃないですか。次の日はもう、50枚入りの箱がまた積んであって。お相撲さんみたいに手形でやりたいなと思ったくらいです(笑)」

 大きなCHANGEから生まれた“朋美スマイル”だったが、背景には知られざるこんな出来事もあった。

「長野五輪の1年前、“スケート革命”が起きたんです。のちに"魔法の靴”といわれる、かかとが離れるスラップスケートがヨーロッパから出てしまいまして。スケート業界って、ルール改正もそうなんですが、ヨーロッパ発は通りやすいんですよね。アジアはすごくマイノリティな存在だから、ヨーロッパにならうしかない。私自身、これが出る前はワールドカップも優勝したし『長野では絶対に金だ』と思っていたんですが、結局苦戦することになりました」

 “スケート革命”から1年後の長野五輪を見据え、新たな靴でベストを出し尽くせるようアメリカのミルウォーキーにある1年中滑れる施設に1ヶ月くらい行ったりと、調整を続けた。

「だから長野で銅メダルが取れたときは、『調整がギリギリ間に合ってよかった〜〜!』の笑顔でした。従来の靴で順風満帆に行っていての銅だったら、悔しくて“朋美スマイル”が出なかったかもしれないです(笑)」