唯一無二の美貌と表現力で歌手、俳優として激動の時代を駆け抜け、人生相談の回答者として多くの人々の心を救い続けてきた美輪明宏さん。その深い愛に満ちた生涯に幕が下ろされました。

 2024年、本サイト『双葉社 THE CHANGE』では美輪さんが89歳のときに全3回にわたるロングインタビューを行っていました。当時、著書『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』(毎日新聞出版)を上梓したばかりだった美輪さんが、電話口から私たちに語ってくれた言葉の数々——それは今振り返ると、激動の近現代を生き抜いた先達から、未来を生きる私たちへ宛てた大切な“遺言”のようにも聞こえます。

 美輪さんが遺してくれた、愛と平和、そして人生を上品に生き抜くためのメッセージを、ひとつの記事としてここにまとめ、心からの追悼の意を捧げます。

平和な時代の「美しい若者たち」と、大谷翔平へのエール

 1935年に長崎市で生まれた美輪さんは、10歳のときに原子爆弾投下を経験しています。戦争の悲惨さと困窮を身をもって知るからこそ、美輪さんの「平和」への思いは誰よりも強いものでした。

 インタビューの中で、美輪さんは現代の日本の若者たちに、とても温かく、愛に満ちたまなざしを向けていました。

「最近、テレビを拝見していて興味があるのは……やはり大谷(翔平)さんかな(笑)。日本の代表として頑張れ!と応援しております。彼のまっすぐな若いエネルギーは日本を変えるはずです。コロナ禍にあえぐ日米両国の人々に、どれだけ勇気と感動をもたらしてくれたことでしょう」

 大谷選手に限らず、現代の若い俳優や街を行く若者たちのことを、美輪さんは「みなさんおきれいよね」と目を細めていました。そこには、歴史を知る美輪さんならではの深い洞察がありました。

「戦時中から終戦後、毎日が生きるための闘いだった時代は、誰しも猛々(たけたけ)しいお顔にならざるを得ませんでした。しかし今の日本は、もちろん様々な問題はあるけれど、平和です。世の中が平和になると、若い方が平和な時代のお顔になるんですね。それが、若い方たちをきれいにしているのではないかと思います」

 若者たちが美しくいられる社会、それ自体が「平和の証」であるということ。美輪さんは、若い世代の輝きの中に、自身が願い続けた平和の結実を見ていたのかもしれません。