1999年に顔面に死球を受けた時は大変だった
根性には自信があった僕でも、1999年に顔面に死球を受けた時は大変だった。あれは根性では無理(笑)。病院の先生から、最初は半年で野球に戻れる手術をすすめられたんだけど、それじゃあシーズンが終わってしまう。そうしたら、「顔にドリルで穴をあけて、ペンチを突っ込んで、引っ張ってずらすという方法もある」と説明されたんです。これだと3か月で治ると。「僕、(野球で稼いで)金が欲しいんで、早く治る方で」ってお願いしました。「すごく痛いですよ」と忠告をされましたが、僕は根性があるから大丈夫ってね。まずは寝かされて、タオルを口に突っ込まれる。いったい何が起きるんだと驚いていると、「舌を噛まないようにするためです」って言われました。それで麻酔を打って、ドリルが顔にブワーってくる。もう血がぴゅーって飛んでいくのが分かるんですよ。「先生、無理!」って助けを求めたんだけど、もう止められない。すると、もう一本麻酔を打たれて、「これがもう麻酔のマックスなので、この状態で進めますから」って続行。なんか自分の口から泡みたいなものがあふれて、意識がだんだん遠のいていくのが分かりました。
生まれ変わって同じケガをしたら、絶対にこのやり方を選ばないし、今の選手が同じようなケガをして、選ぶことになったら、絶対やらない方がいいって止める(笑)。根性だけなら負けないと思っていた僕が無理だったんですから。
村田真一(むらた・しんいち)
1963年生まれ、兵庫県出身。滝川高校から1981年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。同期は槙原寛己、吉村禎章、橋本敬司らがいる。長年、巨人の主力捕手として活躍し、1994年、1996年、2000年とリーグ優勝し、1994年、2000年は日本一に。1994年の槙原寛己氏による完全試合でも捕手を務めた。引退後はコーチ(ヘッドコーチなど)も歴任。現在は野球解説者や評論家として活躍中。