映画好きとロックとフォーク、キーボード・おおくぼけいの紆余曲折

――おおくぼさんは、いつごろから音楽活動を始めましたか?

おおくぼけい(以下、おおくぼ)「中学生の時に、放課後にエレクトーンでわけのわからないポップスを弾いているやつがいたんです。僕はそれまでクラシックしか知らなかった。家に帰ってみて、譜面がないから自己流でマネして映画音楽やゲーム音楽のようなインスト曲を作ってみました。

 それと同時に毎日のようにハリウッド映画を観ていて、“映画監督になりたい”って思っていた。その後大学の進路を決める時に日大芸術学部に映画学科があるって知り、“僕には音楽があるから、映画に関わるのなら映画音楽で関わっていけばよいんだ”って考え始めた(※おおくぼさんは日本大学芸術学部音楽学科作曲コース出身)。でも中高の頃は、自然とバンドをやりたいって思って、それもやっていましたね」

松永「キーボードだったの?」

おおくぼ「いやボーカルです。キーボードはロックをやるにはかっこ悪いと思っていた(笑)。ロックバンドでキーボードを弾いてる人ってオタサーの姫みたいな子が多いイメージがあった」

松永「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(64年結成のアメリカのバンド)のニコ的な立ち位置ですよね」

おおくぼ「そういうのは苦手だったんだよね。大学に入ってからミュージカル研究会っていうサークルに入りました。そこでほかの学科の人と一緒にミュージカル制作をやるようになった。そこでオリジナル曲や脚本を作るようになった。同じ作曲コースの後輩(※作曲家の小田切大)と、“大学を出た後は事務所に入って職業作曲家になるしかないのかな”って話をしていた。でもそういうのじゃないものになりたいってその流れから、『新宿フォーク』を始めたんです」

 おおくぼさんが所属していた新宿フォークは、99年結成のユニットで、05年にメジャーレーベルからアルバムをリリースしている。70年代のリアルなフォーク調の曲を中心としていた。

おおくぼ「新宿フォークでは、僕はギターを弾いていたんです。でも周りから“キーボードのほうがうまいんじゃない?”って言われて、20代後半になってやっとキーボーディストになるんですよ。新宿フォークも、コアなことをやっていたらサブカルの仲間が増えていった(笑)。そこが僕のスタートラインですね」