ジョエル・ロブションは秘密主義を貫く人

 ジョエル・ロブションは家族の前でも仕事のことは語らない、秘密主義を貫く人だった。だが、まさかここまでとは……。残された家族の間でトラブルにはならなかったのか? そう尋ねると、「誰も何も知らない。逆に、団結するしかなかった」と、ルイ氏は微苦笑する。

 ルイ氏にとっても急転直下、青天の霹靂だった父の死。好調だったワインと日本酒の輸出入事業は他者に譲渡し、自身はジョエル・ロブション・グループの一員として舵取りを迫られた。

「ジョエル・ロブションの店舗は、ここ日本でも恵比寿や六本木にあります。日本は重要な取引先でもあった。家族の中で、日本語を話すことができるのは私だけです。組織の一員として包括的に対応しなければいけないため、自分の事業とはまったく異なる世界でした。やりながら覚えていくしかなかった」

 ルイ氏は、2019年に共同代表に就任する。ある意味では、突然のリーダー交代劇だ。料理人たちから、反発や反感は起こらなかったのか?

「中にはそういう人もいたのかもしれませんが、肌感覚では1割以下だと思います。私がお酒の輸出入事業をしていたときから、各国のお店には出入りして、スタッフとは関係性を築くようにしていました」

 その際、ルイ氏は次のことを心がけるようにしていたと話す。

「今にもつながることなのですが、人財というように、人はもっとも大切な宝だと思います。現在、世界中で飲食業界は人手不足と言われていて、彼ら彼女らなくして、私たちの業界は成立しません。ましてや、私はフレンチの料理人ではない。レストランは料理人やスタッフがいなければ成り立たない。常に、敬意を持って接すること。そうしたことは、自分が事業を立ち上げたときから心がけてきたことでした。それまで自分がやってきたことが、結果的に役に立ったのかもしれません」

 フランスの僻地にあるワイナリー、日本の山間にたたずむ酒蔵。じっと自らの仕事と向き合う職人たちと触れ合う中で、自然と“何かを生み出す者たち”への敬意は熟成されていった。その経験が、ルイ氏の予期せぬ“CHANGE”人生の転機を下支えしたわけだ。

(つづく)