メチャクチャ悔しい1年「自分が納得できないプレーだったので、嘘はつけなかった」

 バサラに情熱を注ぐ岡崎だが、本音をいえば、選手を続けたかったという。引退の決断に至ったのは、膝の状態が悪く、思うようにプレーできなくなったからだ。

「単純に、フィジカルのサッカーに変わってきている中で、自分のヒザがもう思うように動かなかったというのは、やっぱりありました…。手術も何もしていなくても、単純に痛みが増していきました。膝の専門医として一番、有名なバルセロナの先生に見ていただきましたが、“この膝だったら、もう難しいね”という感じで言われたのです」

 最後のシーズン、伊藤涼太郎、小川諒也、山本理仁、藤田譲瑠チマといった日本人選手と一緒にプレーしたが、思うようなパフォーマンスができなかった。

「日本の若い選手に、何も自分のプレーを見せられなかった。メチャクチャ悔しい1年を過ごしてしまったんですよ、自分の中では。プレーで見せられなかったら、やっぱり選手として終わりだと思った…」

 監督という道は、岡崎にとって「二番目」の選択だった。

「自分のプレーが続けられるんだったら、絶対サッカー選手を続けたかった。エスパルスでやるという選択肢もあったと思うのですが、自分が納得できないプレーだったので、そこに嘘はつけなかった」

引退する岡崎をチームメイトが胴上げする。撮影/渡辺航滋(Sony α1使用)

 岡崎は、監督としての目標を明確に持っている。

「ヨーロッパの舞台で監督として活躍して、日本代表で、やはりワールドカップに監督として行くというのが、自分の中でのゴール。そこで優勝するというのが、一番のゴールです。自分の人生、サッカー人生、サッカー監督としての最大の夢です」

 岡崎のもう一つの願いは、バサラ兵庫の活動が世界に認められることだ。

「バサラ兵庫が進めていることが、海外からもバサラ兵庫はこんな取り組みをしていると話題になって、海外からも選手が集まる、兵庫県に人々が集まるようなものをつくっていきたい。海外に誇れるようなものにしていきたいですね」