サッカーとの出会い「“ワールドカップで優勝させる”という翼くんの言葉が好きだった」

「話すことが大好きなんです」

 そう言って、はるか遠くドイツの地から瞳を輝かせて、2時間以上も熱心に語ってくれた岡崎。まだまだ聞きたいことはあったが、大きな夢に向かって歩みを進める岡崎の貴重な時間を、これ以上は費やしてはならない。最後に、原点である“サッカーとの出会い”について聞いてみた。

「きっかけは、もう単純に兄がやっていたので。僕はあんまり何もしていなかったんですけど、引っ越したタイミングで何もしていない僕を親が見るに見かねて、兄貴がやっているからサッカーについて行きなさいと言われたのが、最初です」

 兄は2つ年上で、岡崎は8歳、兄が10歳。尼崎から宝塚に引っ越したときだった。プロを意識したのは比較的、早かった。

「当時からJリーグはあったので、プロという存在は知っていました。サッカーを始めて、アニメの『キャプテン翼』を見ていて“ワールドカップで優勝させる”という翼くんの言葉が好きだったので、小学校のときも夢を聞かれるたびに、日本代表になってW杯で優勝させるみたいなことを言っていました。明確にプロになれるかなと思ったのは、高校ぐらいですね」

 滝川第二高校に進学した理由も、兄の存在があった。

「滝川第二高校に決めた理由の一つに、兄の存在がありました。選手としては、ガムシャラに、なんでもやるっていう人間だったと思います。ただ、最初はもう、本当に真っ白な状態で、初めて全国を目指すとか、明確に意識したのは滝川第二高校でした。それまでは宝塚市内とか、宝塚の本当の街クラブでやっていたので、考え方はその範囲だけでした。それが滝川第二高校に入ったら、全国大会へ出場するようなチームで、そこで急にシノギを削る毎日になったんです。本当に一から這い上がっていくという成功体験を、初めてできた場所でもあります」

引退試合の日、スタジアムで大きくガッツポーズ。現役時代の忘れ物を取り戻すために、奮闘を続ける岡崎慎司をこれからも応援しよう。撮影/渡辺航滋(Sony α1使用)

 38歳で選手としてのキャリアに幕を下ろした岡崎。監督としての挑戦、そして日本サッカー界に偉大なる足跡を残す旅は、まだ始まったばかりだ。

 日本代表で50得点を挙げ、プレミアリーグ優勝を経験。その情熱と経験は、次世代の日本人サッカー選手たちに、どのように伝えられていくのか。

 岡崎慎司の第二の人生の「THE CHANGE」は、多くの選手たちの「THE CHANGE」を生み出していくに違いない。

おかざき・しんじ 
1986年4月16日生まれ、兵庫県出身。2005年に清水エスパルスに入団。2010年までストライカーとして活躍後、ドイツ、イングランド、スペイン、ベルギーでも挑戦を続け、レスター・シティFCの一員としてプレミアリーグを制覇。日本代表として3度のワールドカップに出場し、歴代3位となる50得点を記録した。昨年5月、ベルギー1部シント=トロイデンVVで現役を引退。現在ドイツ6部のFCバサラ・マインツで監督を務める。感動を呼ぶゴールシーンから「一生ダイビングヘッド」、「魂のストライカー」などと呼ばれることも。