1980年に讀賣テレビに入社し、『ズームイン!!朝!』や『ウェークアップ!』などの看板番組でキャスターを務めた辛坊治郎さん。2010年に退社してフリーのジャーナリストに転身した後はテレビ、ラジオ、出版等を通じて活躍している。2021年にはヨットで太平洋単独無寄港往復横断に成功した彼のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

辛坊治郎 撮影/河村正和

 テレビ局に就職したのは、出社が午前10時だったからです。朝寝坊ができるという、実にシンプルな理由でした。いくつかの内定をいただいていた中から、第二志望くらいの気持ちで大阪の読売テレビのアナウンサーになったのです。原稿を読むアナウンサーのはずが、人生というのは思いがけない方向へ転がっていくものですね。

 1985年、御巣鷹山の日航機事故がありました。あの頃、東京の『ズームイン!!SUPER』(日本テレビ系)で持ち回りキャスターをやっていたのですが、その日たまたまメインの徳光和夫さんが出演オフで、突然「お前やってみろ」と言われたのです。できるはずがありません。でも仕方がない。いつものおしゃべりの感覚で夢中になっていただけなのですが、「辛坊、お前なかなかいいじゃないか」という反応だったのです。東京のキー局で評価されると、大阪に戻っても待遇が変わるんですね。それがキャスターとしての初体験でした。以降は報道からバラエティまで、幅広く仕事をさせていただきました。

 私としては、楽しい仕事をやりたいというのが、就職した頃からの一貫した思いでした。サラリーマンなら誰でも、つらい我慢はあるものですが、それは最小限にしたい。取材するなら徹底して聞く、横道にそれるなら徹底してそれる。そういうスタンスでずっとやってきました。