北海道の長く厳しい冬。凍てつくような空気の中、赤々と燃え上がる炎と、金属を力強く叩く音が鳴り響く。日本のモノづくりを根底で支えてきた板金工場だ。今、この北の大地から、製造業界の常識を打ち破り、新たな熱狂を巻き起こしている企業グループがある。「MAKERS UNITED(メーカーズユナイテッド)」だ。

MAKERS UNITED 杉本光崇代表 撮影/有坂政晴

 グループを率いる杉本光崇代表の素顔は、世間が思い描く「町工場の汗まみれの社長」の枠には全く収まらない。2日に1回は欠かさずランニングで己の肉体を追い込み、筋力トレーニングで汗を流す。夜の街で酒を飲むことや、経営者同士の過度な付き合いは好まず、合理的な経営を重んじる極めて現代的な価値観の持ち主だ。その一方で、クラシックピアノの腕前は「ピティナ・ピアノコンペティション」で全国大会に進出するほどのプロ級であり、ひとつの物事をとことん極め尽くす、常人離れした執念と集中力を併せ持つ。

「自分はもともとコミュニケーションが苦手でした。自分の価値観を大事にするという意味では、Z世代の考え方に近いかもしれません.」

 自らを「異端」であり「決して経営者に向いているわけではなかった」と客観視するこの超合理主義の三代目が今、衰退が危ぶまれる北海道の製造業界に、M&Aという手法を用いて次々と熱狂の渦を巻き起こしている。彼の経営哲学の根底にあるものとは何なのか。その数奇な半生と、冷徹なまでの合理性の裏に隠された「働く人への深い愛と責任」に迫った。

先進的なデザインのグループ本社(北海道石狩市)  撮影/有坂政晴

寡黙な父の背中と、限界を突破する「執念」のルーツ

 杉本代表の原点は、祖父の代から続く板金工場にある。当時の工場は床が黒く汚れ、決して華やかな場所ではなかった。しかし、そこには確かな熱気があった。

「二代目であった父は寡黙で、人に任せるタイプの経営者でした。逆に、創業者だった祖父は職人肌で仕事に厳しかったそうですが、私生活では孫の私のことをとても可愛がってくれましたね」

 言葉ではなく、背中で語る職人たちの姿。そして、教育熱心だった母親の方針で幼少期から始めたピアノが、彼の人格の根幹を鍛え上げた。毎日何時間も鍵盤に向かい、逃げ出さずに練習を重ねる日々。この途方もない反復練習こそが、「目標に向かって地道に、そして狂気的なまでに努力を継続する」という彼の鋼のメンタルを作り上げたのだ。

MAKERS UNITED杉本光崇代表 撮影/有坂政晴

 大学進学後、杉本代表は学業の傍ら、黎明期のネット業界で独自の個人事業を展開していた。その稼ぎは時間単価で6000円にも達し、学生でありながら、自力で生きていけるほどの経済力を手に入れていた。ときには数十万円の損失を出すこともあったが、その頃の経験は現在の経営に大いに役立っている。

 しかし、一人でのビジネスには限界も感じていた。次のフェーズに進むべきだと考えた時、彼の脳裏をよぎったのは、幼い頃に見ていたあの「黒い工場」の職人たちの姿だった。

「製造業って、地道にコツコツやればやった分だけ結果が出るし、手を抜けばだんだん落ちていく。そういう泥臭い感覚が、自分の性に合っていると気づいたんです。画面の中のキラキラした世界よりも、汗を流して実体のあるモノを生み出す製造業の人たちの中にいる方が、自分には向いていると強く思いました。

 大学の同期は外資や官僚に進む人が多かったですが、私は指示されたことを上手にやるのは向いていない。そのような進路も現実的ではなかったので、実家を継いで経営者になる選択をしました」

慶應義塾大学卒業後、製造業の世界へ 撮影/有坂政晴

不退転の覚悟で挑んだ改革と人生を変えた「ポジティブ思考」

 家業を継ぐ覚悟を決めた杉本代表は、修行のために栃木県の金属加工会社へ単身飛び込んだ。そこは、朝から深夜まで働くことが当たり前の、製造業の厳しさを極限まで突きつけられる職場だった。しかし、彼はその過酷な環境に一切音を上げることはなかった。

 その絶対的な強さの背景には、10代の終わりに偶然出会った「プラス思考」に関する一冊の本の存在があったという。

「タイトルは今となってはどうしても思い出せないんですが、『プラス思考がいいですよ』という本を読んで、雷に打たれたようにポジティブな人間に変わったんです。タイミングが良かったんでしょうね。それ以来、仕事で何か失敗しても、心折れるようなことは一切なくなりました。仕事の困難なんて大した問題じゃないと思えるようになったんです」

実家に併設された工場が“原点” 撮影/有坂政晴

 厳しい修行を経て故郷の工場に戻った杉本代表を待っていたのは、アナログな管理体制のまま、時代の波に取り残されようとしている家業の姿だった。

「当時の現場は、膨大な紙の図面が大量にストックされていて、注文が来るたびにそれを探し出すだけで1日がかりになってしまう状況でした。納期も遅れがちで、現場の職人たちは疲弊しきっていたんです」

「このままでは会社が死ぬ」と危機感を抱いた20代の杉本代表は、ベテラン社員たちと真っ向から衝突しながら、血を流すような大改革に打って出た。

 若さゆえの過ちか、必死にもがく中で古参社員たちと激しくぶつかり合った。最初の3年間は有効な改革ができず、対立の末に辞めていった社員もいた。しかし、彼は歩みを止めなかった。アナログだった図面管理をすべてスキャナーで読み込んでデジタル化し、1日がかりだった検索作業を数分に短縮。社員一人ひとりの作業時間を厳格に管理し、無理なく納期を守れる仕組みを構築した。さらに、人材採用や設備投資も並行して進め、製造部門を強化していった。

 製造以外でも、営業新規開拓、組織再編、働き方改革、購買戦略、人事評価制度導入など、多方面への施策を次々と打ち出していった。

真剣な表情で語る杉本代表 撮影/有坂政晴

「会社を存続させるため、覚悟を持って様々な決断をしてきました。あの時に戻っても、私は会社と社員の未来を守るために、また同じ決断をすると思います」

 不退転の覚悟で挑んだ大改革の結果、赤字だった会社はわずか2年で黒字化を達成。10年後には売上規模が3倍に成長していた。現在に続く強靭な経営基盤が、ここに完成したのである。